昭和を生き抜いた男 市場直次郎
このブログのタイトルは筆者の勘違い、思い込みに由来しています。と言っても、何のことか分からないと思いますので、順を追って説明していきたいと思います。
薩摩の島津氏が大友氏の豊後国に攻め入り、大友氏の本拠地である府内は戦火に見舞われた。志手の毘沙門堂も焼かれ、安置されていた毘沙門天像は野に打ち捨てられた。後にそれを見つけて志手の村人が新たに御堂を建ててまつった。それが今の志手の毘沙門堂の始まりという話でした。
この言い伝えが載っている「豊後伝説集全」。1932(昭和7)年6月に発行されたこの本の編者が「市場直次郎」となっています。
「豊後伝説集全」は、市場直次郎が勤めていた大分県立第一高等女学校(現大分上野丘高校)の生徒たちに材料を求めて、大分県内に残るさまざまな言い伝え、伝説をまとめたものです。
大分県立図書館の蔵書リストを見ると、市場直次郎は1933(昭和8)年、1936(昭和11)年に「豊後方言集」を発表するなど、この時期、民間伝承の調査研究に精力的に取り組んでいたことがうかがえます。
ところが、このあとは「大分」「豊後」などをタイトルにした市場直次郎の著作が見当たりません。それで筆者は勘違いしてしまいました。市場直次郎が郷土史家として活躍したのは昭和初期から10年代までぐらい、いわゆる「戦前」の人だろうと思ってしまったわけです。
もちろんこれは勝手な思い込み。明らかな間違いでした。
市場直次郎は研究者として「昭和」を生き抜き、さまざまな成果と資料を残していました。
「市場直次郎」とネットで検索すると、佐賀大学附属図書館貴重書アーカイブの「市場直次郎コレクション」が出てきます。
市場直次郎は戦前は佐賀師範教授、戦後は佐賀県内の高校長や福岡の大学教授を務めながら、数多くの小説類など和書と文人の書画を集めたのだそうです。
佐賀大学では市場直次郎のコレクションを購入し、それを整理して、ネットで閲覧できるようにしてあります。
ところで「佐賀」の市場直次郎は「大分」の市場直次郎と同一人物なのだろうか。誰もが抱く当然の疑問です。
「市場直次郎コレクション目録」という本が出版されていました。この中には市場直次郎の略歴もあるはずです。調べてみると、佐賀県立図書館、福岡県立図書館、福岡市総合図書館にこの本があるようです。
大分県立図書館を通じて貸し出しを受けようと、県立図書館に行くと、大分大学付属図書館にもあるとのこと。早速大分大の図書館から借りるための手続きをしました。
そして、佐賀と大分の市場直次郎は同一人物と確認できました。
大分県立図書館の所蔵リストを見ると、市場直次郎の最後の著作は「西日本民俗文化考説」(九州大学出版会)で、出版年は1988(昭和63)年12月となっています。昭和天皇の崩御とともに翌1989年1月に元号は「昭和」から「平成」に改められました。
市場直次郎はまさに民俗学者として昭和を生き抜いたといえます。
雑誌「まつり」の1998(平成10)年7月号に「市場直次郎先生追悼」の記事があり、それによると、市場直次郎氏は1996(平成8)年7月18日に92歳で亡くなったそうです。
記事によると、氏が大分から佐賀に移ったのは1936(昭和11)年ということでした。大分には90年も100年近くも前にいた人物ということで、忘れ去られるのも自然かもしれません。しかし、市場直次郎の名前とその功績がもう少し大分でも知られていてもいいのではと思います。