7/21/2021

志手界隈案内①志手の名所旧跡

志手の名所旧跡は?




 上の地図に①から⑤まで番号が振ってあるのがわかるでしょうか。志手界隈の主な史跡ともいうべき場所です。

 ⑤は桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)、駄原総合運動公園、大分県立大分西高、大分大学付属小・中学校、大分県立図書館の5施設。すべて旧陸軍用地です。

 ①から⑤まで簡単に説明しますが、一番謎に包まれたというか、分かっていないのは「亀甲山古墳」でしょう。「卑弥呼の鏡」とも呼ばれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が出土しましたが、どんな人物が埋葬されていたかなど詳しい調査はされていません。

 亀甲山古墳について、ちょっと調べて驚いたことは、資料によって「亀甲(山」)の読み方も違うのです。どういうことなのでしょう?

 (興味を持たれた方は「続きを読む」をクリックしてください)


 志手と季の坂




 古宮古墳と亀甲山古墳があるのは住所で言えば「季の坂」になります。志手と季の坂はどういう位置関係にあるのでしょう。上の写真を見てください。

 志手集落のすぐ後ろにある丘陵地がかつては「ミカン山」だったことは前回書きました。そして、丘陵地が大規模造成されて住宅団地に変わったことも。「季の坂」は丘陵の端っこ、志手集落に一番近いところで、住宅開発はここらの地域では一番最後になりました。

 季の坂の標高はどうでしょう。60~70mくらいでしょうか?開発工事は1997(平成9)年ごろまで行われたようです。

 「季の坂」の大きな看板の前に古宮古墳の案内標識があります。



  古宮古墳は上の写真にあるように国の史跡に指定されています。

 大分市歴史資料館の資料を見ると、7世紀後半の築造で、壬申の乱(672年)で大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)側について功績をあげた「大分君恵尺(おおいたのきみえさか)」が埋葬されている可能性が高いようです。

きこう、きっこう、かめのこう?


 亀甲山古墳は古宮古墳から直線距離にして200mくらい離れているでしょうか。亀甲山古墳があったところは今は住宅が建っています。




 亀甲山古墳は1911(明治44)年に発見されましたが、その時は既に古墳の地上部分はなく、石棺だけが見つかったということです。その中に三角縁神獣鏡や重圏文鏡など貴重な出土品がありました。

 個人的には大変な発見だったと思うのですが、当時はそうでもなかったのでしょうか?1911年5月発行の考古学雑誌1巻9号に簡単な報告(「大分市三芳の古墳発見」)が掲載されただけで、追加調査などが行われた形跡はありません。

 当時と今とでは古代史に対する関心、考え方なども違っていたでしょう。仕方ない面もあるかもしれませんが、さらに詳しい調査がなかったのは少し残念です。


 さて、二つの古墳ですが、7世紀後半の「古宮」に対し、「亀甲山」は4世紀後半に作られたと見られています。300年ほどの時間の隔たりがあります。もしかしたら、この300年の時をつなぐ古墳がこの地域にあったかもしれません。残念ながら、今となっては何の手がかりも得られません。 

 二つの古墳については、もう一度少し詳しく取り上げたいと思っており、ここでは最後に亀甲山古墳の読み方について触れておきたいと思います。


 左は1915(大正4年)発刊の「大分市史」。真ん中は「大分県史 先史篇2」(
大分県総務部総務課編)。右は大分市歴史資料館のリーフレットです。

 大分市史は、古墳が見つかった場所が「大字三芳字亀ノ甲」だから「かめのう」で「亀の甲古墳」と書いているようです。

 亀の甲古墳の左隣に書いてある椎迫古墳2は「古宮古墳」のことだと思われます。古宮古墳もこの時には発見されていましたのでしょう。ただ、その重要性に注目が集まるのは大分市史(1915年版)発行から60年以上先のことになります。

 真ん中の大分県史先史篇2は1989(平成元年)出版。これには「きこうざん」とフリガナが振ってあります。これに対し、大分市歴史資料館の資料は「きっこう」と書いてあります。

 「きっこうざん」とフリガナがあったのは「九州考古学散歩」(小田富士雄編著、学生社 2000年出版)です。(この本には亀甲山古墳が「大字三芳字宮畑にあった」と書いてありますが、小字〈こあざ〉の宮畑は古宮古墳で、亀甲山古墳は亀甲が正しいのではないかと思います)

 地元では小字の亀甲を「かめんく」と呼んでいたそうです(園田英雄、志手の歴史⑤志手にあった古墳「亀甲山古墳」)。ならば「かめんく(やま)こふん」との呼び方も成立しそうです。

 なぜ、資料によって呼び方、読み方が違うのか。残念ながら分かりません。

 天神社、毘沙門堂は次回以降に


 二つの古墳について書くだけで随分と長くなってきました。志手天神社や毘沙門堂、桜ヶ丘聖地(旧陸軍墓地)などについては次回に報告します。

 






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