ミカンづくりの始まりは?
園田官造さんがミカン栽培を始めた記念に作ったそうです。官造さんの子孫にあたる人が持っていました。
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明治44(1911)年とはっきりあります。ただ、これだけではまだ心もとないと思う人のためにもう一つ証拠を用意しました。それが左下の写真です。
ところで、この石碑は何のために建てられたのでしょうか。「御大典記念」「昭和3年」とあります。昭和3(1928)年11月に昭和天皇の即位の礼が行われ、志手でも天皇即位を祝した記念事業を実施したとあります。
事業は山道の拡充でした。地権者の協力と地元民の労力で、3尺の道を7尺に広げたようです。1尺が30センチとすると約1mの道路が2m以上に拡幅されたことになります。この道はミカン栽培のための農道と考えてよさそうです。
碑文に住民は寝食を忘れて(ミカンの)増収や品質改善に励んだとあります。昭和3年頃にはそれなりのミカン産地になっていたのでしょう。
農道拡充によって馬車も使えるようになったのではないでしょうか。この事業によって志手のミカン生産能力が格段に増したことは想像に難くありません。わざわざ記念碑を建てたことも理解できます。
ところで「園田官造」「明治44年」は志手の歴史を語る上での重要なキーワードの一つになります。
このブログの「地名あれこれ①大昔、志手は海だった」と「志手界隈案内①」で取り上げた「亀甲山古墳」に関係しています。これもあらためて取り上げたいと思います。
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