ふるさとだよりで知る志手のトリビア②
志手の園田さん その祖先を辿れば
志手と言えば園田さん。昔から志手に住んでいる人たちの苗字です。志手の老人会「志手老人クラブ共和会」が発行していた「ふるさとだより」は2人の園田さん(英雄氏、逸雄氏)が中心になって作っていました。ふるさとだよりには他にも多くの園田さんが登場します。
そもそも志手の老人クラブを作ったのは園田さんたちです。平成14(2002)年12月発行のふるさとだより13号にクラブ発足時の記録がありました。
志手の老人クラブは昭和39(1964)年10月にできました。上の資料はその当時の役員名簿と事業計画書です。役員を見ると、会長の園田茂平さん以下副会長、監事、会計、世話人の全部で13人の名前があります。13人のうち12人が園田姓で、それ以外は1人だけでした。
(注)ちなみに茂平さんはミカン作りの名人だったとか
老人クラブが発足した約60年前から志手は随分と変わりました。以前にもこのブログ「大分『志手』散歩」で書きましたが、志手集落の周辺にあった田んぼやミカン畑が開発され、次々にアパートやマンション、戸建て住宅が建てられ、新たに志手に移り住む人たちも増えていきました。
園田さんはあまり目立たなくなりましたが、地域の行事(志手天神社の夏祭りなど)では今も中心的な存在です。
園田さんだけの祭りというものもあります。それが1月にある「先祖祭り」。志手の園田の祖先を供養する儀式ということでしょうか。先祖墓(下の写真)の前で行われます。
この祠の中に御霊璽(ごれいじ・仏教の位牌にあたるもの)がまつられ、「園田御祖藤原高守安鎮座」と書かれているそうです。
園田さんのご先祖は、飛鳥時代の藤原鎌足に遡る藤原氏一族ということなのでしょうか。
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先祖祭りの様子は平成13(2001)年4月発行の「ふるさとだより11号」に紹介されています。
つまり、明治11(1878)年に新しい社を作った際に仏教の位牌にあたる御霊璽を新しく作ったということでしょうか。
先祖祭りの起源は不明だそうですが、少なくとも明治11年からは続いているようです。
先祖とされる藤原高守についても分かっていません。ただ、言い伝えが残っているそうです。平成15(2003)年7月発行のふるさとだより14号で紹介されています。
「昔、志手の北の方は一面に葦がおい繁っちょった。ここに戦に敗れた片手のない藤原の残党が隠れ住んでおったそうじゃ。ある時、その人が、この土地で働いて自立しようと高い志を立てたんじゃ。まだ片方の手は使えるちな。つまり、その『志』と『手』を結んで『志手』。これが地名のおこりじゃ。この人こそ志手園田のご先祖様なんじゃ」
片手を失った武士が藤原高守だったということでしょう。面白い話ですが、話が漠然としすぎていて、いつの時代のことやら分かりません。「高守」の名前がどうやって分かったのでしょうか。資料がなければ残念ながらこれ以上は進めません。謎のままにしておくしかありません。
志手の地名の由来については「志手界隈案内➁天神社」と「地名あれこれ①大昔、志手は海辺だった」で紹介しました。天神社では「神田」説、地名あれこれでは「潮の手」説について書いています。今回は新たに片手の武士が地名の始まりとして登場しました。調べて行けばまだまだ出てくるかもしれません。楽しみです。
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