4/26/2024

「大分『志手』散歩」の手引き① 何が書いてある?

天神社、毘沙門堂、ミカン、それと

「大分『志手』散歩」の手引き①


 気がつけば「大分『志手』散歩」の投稿が60本近くになっていました。このブログには目次がないので、どんなことがどんな順序で書かれているのか、たまたま読んでみようと思われた方には分かりにくいと思います。

 そこで「大分『志手』散歩」の「手引き①」と題して、これまでブログの内容を1回整理してみようと考えました。

 

「大分『志手』散歩」の最初の記事は「志手はどこにある?」とのタイトルで2021(令和3)年7月17日に公開しています(写真上)。
 ※写真のQRコードでも記事をお読みいただけます。

 このブログは基本的に筆者が住んでいる大分市の「志手」について書いています。大分市志手といっても、そんなところは知らないという人が大多数でしょう。そこでブログの初回は「志手」という地域を簡単に説明することにしました。


 そして、2回目に書いたのが「志手界隈案内①志手の名所旧跡」(2021年7月21日公開)でした。
 ※写真に記事「志手の名所旧跡」のQRコードを付けました。


 左の地図は2回目の投稿に掲載した地図「志手の名所旧跡」に加筆したものです。

 「古宮古墳」や「亀甲山古墳」は厳密に言えば志手の隣りの「季の坂」になりますが、地図には「志手界隈」ということで加えてあります。

 2回目の「志手界隈案内①志手の名所旧跡」では主に古宮と亀甲山の二つの古墳について書きました。

 上の地図にある「志手天神社」「桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)」「毘沙門堂」「毘沙門川」についても順次、このブログで取り上げています。

 何をいつ書いたのか。主な記事を一覧にしてみます。

 【2021(令和3)年】
志手はどこにある        公開日2021年7月17日
志手界隈案内①志手の名所旧跡     2021年7月21日
志手界隈案内➁志手天神社       2021年7月31日
志手界隈案内③桜ケ丘聖地1      2021年9月16日
志手界隈案内➃桜ケ丘聖地その2    2021年10月5日

 ここまで頑張って書いてきたためか、突然にエネルギー切れを起こしてしまいました。「桜ケ丘聖地その5」を書きかけのまま1年以上休載することになりました。

 そして再開したのが2022(令和4)年9月でした。


 【2022(令和4】年】
★志手に残る農村風景 ミカン盛衰記
①ミカンの銘産地・志手         22年9月29日
②栽植記念の石碑残る          22年9月30日
③大分連隊がきっかけに         22年10月2日
④先駆者・岩田丑太郎の碑        22年10月6日
⑤ハイキングコースで売り出す      22年10月15日
⑥ミカンは神代の昔から?        22年10月20日

★志手ポンカン
①志手ポンカンは日本一         22年10月28日
➁いけるぞ!志手ポンカン        22年11月3日
③ポンカンの効用は           22年11月8日
④幻になる日も近い?          22年11月18日


★ふるさとだよりで知る志手のトリビア
           2023年1月3日
③柞原八幡宮との縁   23年1月13日
④昔ながらの狭い道   23年1月25日
            23年2月13日

 「ふるさとだより」は「志手老人クラブ共和会」が発行していたもので、このブログの筆者の手元には1995(平成10)年4月発行の第1号から2005(平成17)年5月発行の17号までのコピーがあります。
 
 「ふるさとだより」には志手の歴史や昔の志手の思い出などが掲載されています。その中で、このブログの筆者が興味を持ったものを「ふるさとだよりで知る志手のトリビア」と題して連載しました。

 「ふるさとだよりで知る志手のトリビア」の第2回から2023(令和5)年になります。
 この続きは下の「続きを読む」をクリックして下さい

 【2023(令和5)年】

2月26日 桜ケ丘聖地にて        2023年2月28日
桜ケ丘聖地の桜              23年4月4日

志手ポンカン 白い花の咲く頃       23年5月7日

志手ぶらぶら路上観察記①自販機      23年5月30日



4年ぶりの夏祭り 志手天神社       23年7月3日

志手の盆火 ガータリ           23年8月18日

地図から消えた「毘沙門川」        23年9月25日


あったはずが消えた 志手遺跡       23年10月21日

「国民哀悼の日」と桜ケ丘聖地       23年11月29日


 この中で解説が必須なのは「米人教授が聞き取ったヒデオさんの戦争体験」と題した4回の連載でしょう。

 このシリーズを書くきっかけになったのは、大分市内の書店でエドガ―・A・ポーター、ランイン・ポーター著「戦時下、占領下の日常 大分オーラルヒストリー」(みすず書房)を偶然目にしたことでした。

 著者のエドガー・A・ポーター氏は、別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)の教授でした。

 原書は「Japanese Reflections on World War Ⅱ and the American Occupations」で、アムステルダム大学出版から発刊されていることは知っていました。

 そして、この本の中にヒデオさんの戦争体験が記録されていることも知っていましたが、日本語訳が出ているとは知らなかったのです。

 ヒデオさんとは、志手老人クラブ共和会で発行していた「ふるさとだより」の編集者だった園田英雄さん(故人)です。

 園田英雄さんは「ふるさとだより」にも何回か自らの戦争体験を書いています。

 左の記事は2002(平成14)年12月のふるさとだより13号(志手老人クラブ共和会発行)に掲載されたものです。

 大分工業学校在学中の園田英雄さんが動員されて働いていた第十二海軍航空廠での空襲の体験が書かれています。

 昭和20(1945)年4月21日、英雄さんが働いていた第十二海軍航空廠が米軍機による不意打ちの空襲を受けます。

 多くの学生らが死傷し、英雄さんは衝撃を受けます。「この世の地獄」と思ったその光景を英雄さんは生涯忘れることができなかったようです。

 【2024(令和6)年】

毘沙門堂今昔 予告編              2024年2月13日

 以上簡単にこのブログ「大分『志手』散歩」の内容について、書き始めた2021(令和3)年から年を追って説明してきました。少しでも興味を持っていただければ幸いです。


 実はこのブログには志手以外について書いたものもあります。「大分まち歩き」シリーズで「住居表示番外編」と「アイデア市長の遺産」です。これらについては別の機会に改めて紹介できればと思っています。




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