2/19/2025

志手ポンカンはどこで買える

志手ポンカン どこで買える? 



 このブログ「大分『志手』散歩」(※)で、志手ポンカンが出荷の最盛期を迎えていると紹介したところ、志手ポンカンはどこで買えるのかという問い合わせをいただきました。

 ※「大分『志手』散歩」の「志手ぶらぶら路上観察記⑥志手ポンカン出荷」(2025年2月10日公開)で紹介しています。

 志手地区に販売所、直売所があるかというと、これはありません。

 志手ポンカンの箱詰めは大分市内のデパートやスーパーなどで売られていると思いますが、最近あまり見かけなくなったような気もします。

 市内のトキハデパートの地下にある果物専門店で、目を引く場所に志手ポンカンの箱詰めが置かれていたのを覚えています。最近はどうでしょう。この時期、かつて志手ポンカンが置かれていた場所には、ほかの果物の箱詰めが飾られているのを見たことがあります。

 志手ポンカンが以前ほど注目されなくなった理由の一つに、同じミカン類で新種が続々と登場し、競争相手になったことがあります。

 このブログ「大分『志手』散歩」の「志手ポンカン➃幻になる日も近い?」(2022年11月18日公開)にも書きました。

 例えば「はるみ」というミカンがあります。この時期スーパーなどで売られています。ポンカンと清見のかけ合わせで「不知火(デコポン)」と同じです。だからデコポンの妹分とも言われ、人気があるようです。

 もう一つは、このブログ「大分『志手』散歩」でも何度か書いていますが、志手ポンカンの作り手の高齢化と後継者難があります。

 作り手が減り、栽培面積も減っています。当然生産量も減ります。昔はもっと生産者がいたといいます。作り手も若く、意欲的でした。

 
 「大分志手ポンカンの栞}(左の写真)を作ってPRしていたと聞きました。

 このしおりを見ると、出荷元が大分市志手柑橘生産組合で、住所と電話番号が書いてありました。

 いまは、このしおりにあるような「志手ポンカン」を注文する❝窓口❞のようなものはありません。

 せっかくお問い合わせをいただいたのにお役に立てずに申し訳ありません。

 いただいたメールを拝見すると以前購入されていた志手ポンカンの生産者がおられるとのこと。一番確かな方法は以前購入されていた生産者から現在も作っている人を紹介してもらうことではないかと思います。

2/10/2025

志手ぶらぶら路上観察記⑥志手ポンカン出荷

 志手ポンカン 出荷最盛期

 

 志手ポンカンが出荷の最盛期を迎えています。

 志手のポンカンはだいたい12月から翌年1月にかけて収穫され、倉庫などで1カ月ほど貯蔵されます。そして、果皮が少し柔らかくなり、甘さも増した頃に出荷が始まります。


※志手ポンカンについてはこのブログ「大分『志手』散歩」でも何回も紹介しています。

 最近では「志手ぶらぶら路上観察記➃志手ポンカン」(2024年12月9日公開)があります。


 
 上の写真は箱詰めされた志手ポンカン(大きさは2L)ですが、近所のスーパーではこの箱入りはほとんど見かけません。

 代わりに1軒のスーパーではポリ袋に5個入った志手ポンカンが1袋598円(消費税込み646円)で売られていました。

 消費税込みで計算すると1個約130円になります。カン類の値段としては大分では高い方だと思います。

 と言っても、猛暑やカメムシ被害などで昨年はミカン類が不作だったとかで、ミカンの値段は全般に高くなっており、志手ポンカンが飛び抜けて高いともいえないようです。

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1/27/2025

お大師さまとお接待 その1

 毘沙門堂とお大師さま

途絶えた行事・お接待

 
 前回のこのブログ「大分『志手』散歩」では毘沙門堂に賽銭泥棒が出たことをお知らせしました。

 志手の毘沙門堂については昨年2月から6月にかけてこのブログ「大分『志手」散歩」で取り上げています。
 
 「毘沙門堂今昔」」と題して7回書いています。左の写真はその1回目の「毘沙門堂今昔 予告編」(2024年2月13日公開)です。 

 話がもう一度毘沙門堂に戻ってきたところで、昨年の毘沙門堂今昔シリーズでは取り上げなかったことを一つ書いてみたいと思います。

 それが毘沙門堂で行われていた「お接待」。弘法大師(お大師さま)の命日に合わせて志手でも「お接待」が行われていたのだそうです。

 「お接待」とは何か。大分県立図書館のウェブサイトに簡潔にまとめられた資料(右)がありました。
  
 大分県内で見られる「お接待」は、いまや消えゆく伝統行事だそうです。

 その原点は四国で行われている「接待」にあるようです。

 接待とは、弘法大師(空海)ゆかりの四国88カ所の霊場を巡る「遍路」を助ける行為です。

 霊場を巡る遍路に食べ物などを提供し、ねぎらう風習だそうです。遍路を積極的に助けること、遍路への施しは弘法大師への供養・報謝でもあるとの考え方があって、四国で接待が定着していったとのことです。

 四国での接待の風習が大分に伝わって、大分でも「お接待」が行われるようになったということでしょうか。

 大分では弘法大師を信仰する人たちが、旧暦の3月21日と7月21日に「お接待」を行い、寺社を参拝する人々に菓子やモチ、握り飯などをふるまったそうです。


 志手でも
、毘沙門堂で「お接待」が行われてきて、その後、お接待の場所は志手集会所に移ったそうです。

 そのあたりの話が1999(平成11)年4月発行の志手老人クラブ共和会の会誌「ふるさとだより」第5号にありました。

 今は途絶えてしまった志手のお接待についてもう少し詳しく見ていきたいと思います。

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1/13/2025

志手ぶらぶら路上観察記⑤さい銭泥棒

 毘沙門堂に賽銭泥棒とは‼



 1月12日に毘沙門堂に行くと、扉に貼り紙があるのに気づきました。


 毘沙門堂は元日にお参りしたのですが、その時こんな貼り紙があったろうか、そんなことを考えながら近づいてみました。

 近くに行って貼り紙を見ると「お賽銭盗難のため防犯カメラ作動中」「毘沙門堂管理者」とありました。

 毘沙門堂に賽銭泥棒が入ったので監視カメラを付けたとのことです。

 毘沙門堂周辺の人通りは多いとはいえないし、御堂にいつも人がいるわけでもない。盗みに入りやすい御堂かもしれませんが、「毘沙門堂を狙った泥棒が実際にいたとは」。このブログ「大分『志手』散歩」の筆者にはちょっとした驚きでした。

 毘沙門堂は以前から賽銭泥棒の被害に遭っていたのでしょうか。それともこの正月の参拝者の賽銭が狙われたのでしょうか。


 今月1日に初詣に来た時に撮影した写真を見てみました。それが上の写真ですが、「お賽銭盗難のため防犯カメラ作動中」の貼り紙は既にあったことが分かります。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者はしばらく毘沙門堂に足を運んでいませんでした。

 恐らく昨年のうちに賽銭盗難があったのでしょう。

 毘沙門堂内に防犯カメラが取り付けられるような事態になっているとはちっとも知りませんでした。

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12/30/2024

行く年くる年 世界の国からありがとう

 世界に伝わる「志手」の今と昔



 上の写真は紅葉した駄原総合運動公園のラクウショウ(落羽松)です。

 このラクウショウについては、このブログ「大分『志手』散歩」の「メタセコイアとラクウショウ①駄原総合運動公園」(2024年7月4日公開)で少し書いています。


 大分市の「志手」を題材にしたこのブログ「大分『志手』散歩」の1回目は「志手はどこにある?」(2021年7月21日公開)でした。

 途中でほぼ1年間の中断がありましたが、ぽつりぽつりと書き連ねてくることができました。

 大分市の志手という極めて限定的な地域の話ですので、このブログを読んでくださる方も多くはないのですが、それでも最初の頃に比べると「閲覧数」は増加傾向にあります。

 この12月は特に海外からのアクセスが目立ちました。

 米国、カナダ、メキシコ、香港、シンガポール、インド、イラン、ドイツ、スイスなどです。

 このブログを見た方は大分市の志手に何かの関わりがある方でしょうか。志手出身で今は海外で暮らしている、働いている方々でしょうか。

 どんな人たちがこのブログをご覧になったかは、このブログの筆者には分かりません。もし以前に志手に関わりがあって、このブログを見て懐かしいと思っていただけたのならば幸いです。


 このブログをご覧いただいた方々に感謝します。来年(2025年・令和7年)もぼちぼちとやっていこうと思っております。
 

 上の写真は大分駅南口の公園のメタセコイア。これについては「メタセコイア番外編~大分駅南口」(2024年10月26日公開)で書いています。

 

12/21/2024

桜ケ丘聖地で防災訓練


 桜ケ丘聖地で町内防災訓練

避難、初期消火、炊き出し




 前回のこのブログ「大分『志手』散歩」では、11月21日に行われた在日ドイツ大使館主催の公式墓参について報告しました。

 大使館関係者が桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)に眠る2人のドイツ人の墓に花を手向ける様子は、地元テレビ各局のニュースになりました。

 桜ケ丘聖地では11月にもう一つ行事がありました。志手町内の防災訓練です。11月9日でした。このブログの筆者も途中まで参加しました。

 訓練の内容は左の町内会だよりにあるように基本は①避難➁初期消火③炊き出しの三つです。

 当日は町内各所に「志手防災会」の名前入りのベストを着た避難誘導員が立ちました。訓練に参加する町民を会場の桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)を案内するためです。

 消火訓練のために家庭用消火器が用意され、炊き出しでは志手集会所に保管されている飲料水(ミネラルウォーター)やアルファ米などが会場に運び込まれました。


 志手防災会のみなさんの準備があって訓練はスムーズに行われたのですが、参加者は残念ながら多くはありませんでした。

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12/09/2024

志手ぶらぶら路上観察記➃志手ポンカン

            寒さ来て色づく志手ポンカン



 今年はミカンが全国的に不作のようです。志手特産の「志手ポンカン」はどうでしょう。12月に入り色づき始めた志手ポンカンが上の写真です。

 志手ポンカンについてはこのブログ「大分『志手』散歩」で以前に取り上げました。

 手始めに「志手ポンカン①志手ポンカンは日本一」(2022年10月28日公開)を書きました。

 続いて「志手ポンカン➁いけるぞ!志手ポンカン」(2022年11月3日公開)「志手ポンカン③ポンカンの効用は」(2022年11月8日公開)「志手ポンカン➃幻になる日も近い?」(2022年11月18日公開)と書きました。

 志手のミカン生産者がポンカンづくりに本格的に取り組んだのは昭和50年代半ば、1980年前後のことのようです。

 「志手ポンカン➁いけるぞ!志手ポンカン」に載せた新聞記事を再掲します。

 それが左の記事。大分合同新聞の昭和57(1981)年2月21日付朝刊です。

 それによると、ミカンの生産過剰で価格が暴落し、経営が苦しくなった志手の生産者が、自家用に植えていたポンカンに目を付けて本格栽培を開始。市場に出荷し始めたところ、人気を博したということだそうです。

 ある財界人が志手ポンカンの味を絶賛したという話を「志手ポンカン①志手ポンカンは日本一」で紹介しました。

 しかし、志手ポンカンも最近はかつてほどの人気はないようです。

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11/29/2024

5回目の公式墓参 桜ケ丘聖地

独大佐 5回目の公式墓参

桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地) 



 11月21日の昼前、志手町内にトランペットの音が流れました。桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)で吹かれたものが風に乗って聞こえてきたようです。

 演奏された曲は「Ich hatte einen Kameraden」(私には1人の戦友がいた)。ウィキペデイアにはドイツの「葬送の軍歌」と書いてあります。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が、この曲を初めて聞いたのは4年前の2020(令和2)年11月でした。

 同年11月13日、大分市志手の桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)で駐日ドイツ大使館主催の公式墓参が初めて行われました。

 その時にこの曲がトランペットで演奏されました。

 初めての公式墓参のことはこのブログの「志手界隈案内③桜ケ丘聖地1」(2021年9月16日公開)に書いています。


 駐日ドイツ大使館付武官として来日したカーステン・キーゼヴェッター大佐が、2019(令和元年)12月、桜ケ丘聖地にあった曽祖父の弟(ユリウス・パウル・キーゼヴェッタ―
の墓を見つけたことが始まりでした。

 第一次世界大戦で日本軍の捕虜になって大分の収容所に送られ、そこで病死したドイツ兵が2人いました。ユリウス・キーゼヴェッタ―はその1人でした。2人は当時の陸軍墓地(現桜ケ丘聖地)に埋葬されました。

 こうした経緯は、先に紹介した「志手界隈案内③桜ケ丘聖地1」(2021年9月16日公開)にもう少し詳しく書いてあります。


 キーゼヴェッター大佐は日本を離れ、昨年11月の公式墓参には後任の
ラルフ・ベルジケ空軍大佐が来県し、2人の墓前に花を手向けました。

 今年も11月21日にべジルケ大佐が桜ケ丘聖地を訪れて献花しました。今回で5回目の公式墓参となりました。

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10/29/2024

メタセコイア番外編~大分駅南口

かつての町のシンボル残す

大分駅南口のメタセコイア

 

 「メタセコイアとラクウショウ」について書くのはこれで5回目になります。
 
 1回目は「駄原総合運動公園のラクショウ」(2024年7月4日公開)を素材に、2回目は「志手のメタセコイア」(2024年8月30日公開)を題材にしました。

 3回目は駄原総合運動公園以外の大分市内の公園にラクウショウを見に行きました「天神島児童公園」(2024年9月30日公開)。4回目は「番外編」として「徳島県のラクウショウ」(2024年10月10日公開)を取り上げました。

 「メタセコイアとラクウショウ」シリーズの5回目は「大分駅南口のメタセコイア」にスポットライトを当てました(上の写真)。とりあえずこれで最終回にしようと思います。

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10/10/2024

ラクウショウ番外編~徳島県の農業学校

❝百歳❞迎える落羽松 徳島県


 自分が調べていることで新たな手掛かりがほしい。そんな時このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は「国立国会図書館(NDL)サーチ」を使います。

 ラクウショウ(落羽松)について目ぼしい資料が見つからなかった時もそうです。

 国立国会図書館(NDL)サーチのキーワード検索で「ラクウショウ」と入れてみました。

 すると「ラクウショウ(落羽松)物語ー薮内當一先生の功績」(安田博武編)という本がありました(上の写真)。

 2013(平成25)年12月の出版です。徳島県立図書館と香川大学図書館農学部分館に、この本があるようです。

 本の内容はまったく分かりません。しかし、筆者の手元にはほかにこれといった資料もないし、何もないよりはましかと思って、この本を借りてみることにしました。

 大分県立図書館を通じて徳島県立図書館から借りることができました。

 この本は
薮内當一氏が過去に書いたものなどをまとめたものです

 薮内氏とは何者なのか。右の資料にあるように徳島県立農業学校(現徳島県立城西高校)にラクウショウ(落羽松)を植えた人物です。2000(平成12)年に95歳で亡くなったそうです。

 右の資料によると、薮内氏は1926(大正15・昭和元)年4月に徳島農業学校に教諭として赴任し、翌1927(昭和2)年に2本のラクウショウを植えたそうです。

 薮内氏が駄原総合運動公園のラクウショウ(左の写真)と関係あるのかというと、まったく関係はありません。

 ただ「誰が」「いつ」ということがはっきりしたラクウショウがあることに、このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が感心しただけです。 

 それで少し「ラクウショウ(落羽松)物語ー薮内當一先生の功績」(安田博武編)の中身を紹介してみようと思ったわけです。

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9/30/2024

メタセコイアとラクウショウ③天神島児童公園

 カギは全国公園緑地会議?

駄原総合運動公園の落羽松


 

「駄原総合運動公園以外にもラクウショウ(落羽松)が植えられている公園がありますか?」。思いついて大分市役所の公園緑地課に電話したのは9月24日午後5時過ぎでした。

 翌日の午前中に公園緑地課から電話をもらいました。「松原緑地(三佐)、天神島公園(中島東)と平和市民公園にあります」

 駄原総合運動公園のラクウショウは誰が、いつ植えたものなのか。疑問に思って少し調べたことは、このブログ「メタセコイアとラクショウ①駄原総合運動公園」(2024年7月4日公開)で書きました。

資料なし 情報公開請求は空振り


 その時は結論が得られず、資料探しをもう少し続けることにしました。最初に思い付いたのは大分市に対して情報公開請求をすることでした。

 2019(令和元)年に開催されたラグビーワールドカップ日本大会に向けて駄原総合運動公園が大規模に改修されたことは、「メタセコイアとラクウショウ①駄原総合運動公園」(7月4日公開)で書きました。

 運動公園の改修計画が作られる中で、ラクウショウ(落羽松)の伐採でどんな議論があったのかを知りたい。そんな趣旨で公文書公開請求書を出したのは7月12日でした。

 伐採協議でラクウショウが植えられた経緯などに触れられていないか。それがあれば「誰がいつ植えたか」が分かるのではないか。そんなことを期待したのですが…。

 結果は「ラクウショウ(落羽松)等の伐採に関する協議記録はありません」ということで、7月25日に「公文書非公開決定通知書」を受け取ることになりました。

 決定書をもらう前に公園緑地課で改修計画に伴う伐採状況の説明を受け、改修前と改修後の航空写真ももらいました。

 その時の縁があって9月24日の電話になったのですが、今回の電話で少し事情が分かってきたような気がします。

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9/16/2024

日照りと大雨 気象台資料で見る8月

日照りと大雨 数字で見る8月 



 9月半ば過ぎても大分では暑い夏が続いています。最高気温は連日30℃を軽く超え、11日には34.9℃と「猛暑日」一歩手前まで行きました。

 この暑さいつまで続くのか。いい加減嫌になってきます。

 このブログ「大分『志手』散歩」の「今年の夏の暑さは? 最近10年のデータ比較」(2024年8月10日公開)で、今年の7月には最高気温が35℃以上の「猛暑日」が17日あった、と報告しました。

 では、8月の「猛暑日」は何日あったのか。大分地方気象台のホームページで9月5日に公表された「8月の大分県気象月報」でチェックすることにしました。

 気象月報のデータを見てみると、大分市の今年の8月は最近にはない特異なものであることが分かりました。

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8/30/2024

メタセコイアとラクウショウ➁大きくなり過ぎた木

 大きくなり過ぎた木 伐採の日



 
その大きな木があることに気づいたのは伐採の日が間近に迫った頃でした。上の写真は伐採された直後の2019(令和元)年12月16日朝に撮影したものです。写真奥の建物は桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)の記念館です。


 志手とその周辺を歩いてみると、いろんなところから、その木を見ることができました。こんな大きな木なのに、このブログ「大分『志手』散歩」の筆者の視界に入ってこなかったのは、植物に疎い筆者が関心を持たなかったからですが、伐り倒されることになって急に興味が湧きました。

 この大木の伐採が2019(令和元)年12月12日から始まると聞いて作業を記録することにしました。


 上の動画は2019(令和元)年12月12日、13日、16日の3日間で行われた伐採作業の記録を編集し、短くまとめたものです。

 この木がメタセコイアであることを知ったのも伐採作業のちょっと前くらいだったでしょうか。

 この木のことを思い出したのは、このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が、駄原総合運動公園にある背の高い木々について何か書こうと考えたのがきっかけでした。

 このブログの筆者は駄原総合運動公園の木々がメタセコイアだと思い込んでいました。ブログ「メタセコイアとラクウショウ① 空に真直ぐ伸びる木々 落羽松」(2024年7月4日公開)を書くにあたって、念のために大分市公園緑地課に電話してみました。すると「ラクウショウ(落羽松)」との答えが返ってきました。 

 そこで、まずは総合運動公園のラクウショウについて書き、2回目にかつてあったメタセコイアの大きな木について書こうと考えました。それがこのブログになります。

 動画「大きくなり過ぎた木 メタセコイア伐採の日」の最後にテロップを入れましたが、大木が伐り倒される「最期」に立ち会いながら、この木の由来を何も知らないことに改めて思い至りました。

 「誰が、いつ植えたのか」。どうでもよいといえばどうでもよいことがですが、それが気になります。このブログの筆者の習性で、今回もこのメタセコイアの生い立ちを探ろうとしました。

 そのうち、このメタセコイアと関係ありそうだという一人の人物の名前を小耳にはさんだのですが……

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8/10/2024

今年の夏の暑さは? 最近10年のデータ比較

酷暑‼  元気なのはセミばかり?



 ポンカンの木でセミの抜け殻を見つけました(上の写真、8月7日撮影)。猛暑の中で元気なのはセミだけではないか。そう思いながらシャッターを切りました。

7月の猛暑日は17日 月の半分超える


 大分市では最高気温が35℃以上の「猛暑日」が続いています。

 左の表は気象庁のホームページにある「各種データ・資料」から拝借したものです。

 それによると、大分地方の最高気温は7月3日に35.8℃を記録して「猛暑日」となりました。

 それから一日あけて5日から9日まで5日間連続の「猛暑日」となりました。

 さらに実質的に「梅雨明け」したと思える17日以降では、18日から22日まで5日連続で「猛暑日」を記録するなど、31日までの15日間のうち11日で35℃以上の最高気温を記録しました。

 結局、7月の猛暑日は計17日に達しました。

最低気温 4日連続28℃超え 8月

 


 8月に入っても猛暑が続きます。最高気温が35℃を下回ったのは6日の34.5℃だけで、あとは35℃を超えています。

 暑さは夜になっても収まらず、最低気温が3日から6日まで4日連続で28℃超と寝苦しい夜が続いています。

 とはいっても最高気温が39℃や40℃になったというわけでもなく、せいぜい37℃台ですから全国的なニュースになるわけでもありません。このくらいの暑さはどこでもあることと一蹴されてしまいそうです。


 
ただ、大分市の今年の夏はいままでの夏と比べてどのくらい暑いか、大分市民の一人としては気になります。そこで、とりあえず最近10年ほどのデータを収集して比べてみることにしました。すると、今年は「酷暑の夏」として特筆するに値する年であることが分かりました。

※上の写真は7月16日撮影。この頃からセミの合唱が大きくなりました。

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7/31/2024

志手天神社夏祭り当日

 子ども神輿 まちを行く



 7月24日。夕暮れの町を子ども神輿がにぎやかに通り過ぎてゆきました。志手天神社夏祭りの子ども神輿です。

 新型コロナウイルスの大流行で中止となっていましたが、昨夏、4年ぶりに子ども神輿が復活しました。そして、今年も子ども神輿が志手町内を練り歩きました。

 4年ぶりに再開された昨夏は、それまでの神輿の巡行ルートの時間も距離も半分程度にした「短縮版」で試行的に実施されました。

 昨夏のルートはどうだったか。神輿の町内巡行を午後6時から8時までの2時間と見込んでいましたが、午後7時20分には神輿が町内を巡って志手天神社に戻ってきました。想定よりも早く終わって参加者にとっては少し物足りない結果だったといっていいでしょう。

 (注)昨夏の様子は、このブログ「大分『志手』散歩」の「4年ぶりのお神輿登場 志手天神社」(2023年7月28日公開)に書いています。


 そこで今年は巡行ルートが少し拡大されました。去年はルートになかった高台のマンションまで足を延ばすことになりました(上の写真)。

 ざっと見て前年比で3割ほど巡行ルートが延びた感じでしょうか。熱中症にならないように水分補給のための休憩時間も小まめに設けられました。神輿は昨年よりもゆっくりと町内を巡ったように思えました。

 巡行ルート延長の結果はどうだったでしょう。町内を一回りして志手天神社に神輿が戻ってきたのは午後7時40分過ぎでした。


 最後に天神社の境内で神輿を威勢よく回してフィナーレとなります。その後神輿に乗った神様をお宮に戻して町内巡行が無事に終わったのは午後8時ごろでした。

 昨年考えた午後6時から8時までの2時間のプランが今年は実現できたようです。短すぎず、長すぎずで、程よい感じの神輿の巡行ができたのではないでしょうか。

 

7/14/2024

志手天神社夏祭り2024

夏祭りの準備進む 志手天神社



 志手天神社の夏祭りは7月24日と決まっています。祭り当日に向けた準備作業が7月13日に行われました(上の写真)。


 新型コロナウイルスの大流行があり、2020(令和2)年、21(令和3)年、22(令和4)年と夏祭りは中止になっていましたが、昨年4年ぶりに夏祭りが再開されました。

 今年はここに来て新型コロナウイルスの感染者数が増えてきて注意が必要ですが、夏祭りは予定通りに実施されるということです。


 志手天神社の夏祭りのメインイベントと言えば子ども神輿(みこし)です。そして、町内を練り歩く神輿行列に欠かせないものといえば、お囃子(はやし)の太鼓とチキリン(鉦)です。その練習が13日にありました。


 太鼓とチキリンの練習は13日が3回目です。6月29日に志手天神社の拝殿に太鼓とチキリンが並べられて1回目の練習が行われました。2回目の練習が7月6日にあり、13日が最後の練習になりました。

 3回の練習で流ちょうにリズムを刻むところまでになるのは難しいでしょうが、だいぶ慣れてきたのは間違いないでしょう。
 
 祭りの準備は着々と進んでいます。あとは当日の24日を待つばかりといったところです。


【チキリンについて】

 「大分『志手』散歩」の「4年ぶりの夏祭り 志手天神社」(2023年7月3日公開)で書いたものを再掲します。それが以下の内容です。関心のある方は下の「続きを読む」をクリックして下さい。

7/04/2024

メタセコイアとラクウショウ①駄原総合運動公園

空に真直ぐ伸びる木々 落羽松

誰が植えた?駄原総合運動公園



 空に真直ぐ伸びている木々があります。ちょっと高い所から志手周辺を眺めると、いつも目に入ります。上の写真では分かりにくいかもしれません。カメラを望遠にしてもう少し拡大してみましょう。

 

 背の高い木々があるのは駄原総合運動公園です。このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は最近まで「メタセコイア」だと思っていました。


 しかし、本当はどうなのだろう。ちょっと気になったので近くに行って見てみました。

 どうも葉っぱの形などが違う気がします。念のために運動公園を管理する大分市都市計画部公園緑地課に電話で聞いてみました。

 すると、メタセコイアではなく「ラクウショウ」(落羽松)との答えでした。「ラクウショウ?」。植物に疎いこのブログの筆者には予想もしない答えでした。


 こうした場合、手っ取り早く調べるにはインターネットです。「ラクウショウ」「九州」と入れて検索してみると、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所九州支所のホームページがありました。

 それによると、ラクウショウはスギ科ヌマスギ属で、北アメリカ南部諸州からメキシコに天然分布し、世界各地で植栽されているそうです。

 ラクウショウは庭園や公園、川辺など湿気の多い所に植えられているのが多いようです。和名のラクウショウは「落羽松」の意味で、別名「ヌマスギ」とも言うとあります。

 ヌマスギは「沼杉」の意味で、この木が沼辺などに好んで生じ、スギに似ていることから名づけられたと書いてあります。

 ちなみにウィキペディアには、日本には明治初期に渡来し、関東南部以西に適し、湿気の多い公園、庭園、社寺境内などに植栽されている、とありました。

 それほど珍しい木というわけでもないようです。でも誰が、いつ、ここにラクウショウを植えたのでしょうか?それを知るために、駄原総合運動公園の成り立ちについて少し調べてみることにしました。

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志手ぶらぶら路上観察記⑧キオビエダシャク

  やたら目につくこの蝶は  やたらと目に付くチョウがいると思ったら、チョウではありませんでした。ガ(蛾)でした。ネットでちょっと調べてみたら「キオビエダシャク」という名前が分かりました。  マキノキの下の雑草を刈る作業をし ていたら、このガがあちこちで見つかりました(左の写真)...