6/21/2026

小字あれこれ 余話 AIも筆の誤り

AI先生も筆の誤り

小さなミス見つけた



 間違いではありませんが、少しだけ正確さに欠けるところがあるというのが正確でしょうか。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が「小字(こあざ)」についてあらためて調べてみようと思って、まずはGoogle検索してみました。すると、最初にAIによる概要説明が出てきました。それが下の資料です。


 簡潔にして明瞭で、これを読むだけで「小字」について分かったような気がしてきます。

 ただ、気になるところが一つあります。それが赤色で線を引いた「江戸時代の村の名残である『大字(おおあざ)』」という部分です。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が住む志手の大字は「三芳」です。でも江戸時代は「志手村」でした。

 志手と三芳の関係についてはこのブログ「大分『志手』散歩」で何回か書いています。例えば「ふるさとだよりで知る志手のトリビア⑤『三芳』と『志手』 二つの住所」(2023年2月13日公開)で、少し詳しく説明しています。

 あらためて説明しますと、三芳
村は明治8(1875)年に志手村と椎迫村が太平寺村の一部を加えて誕生しました。

 そして三芳村は「明治の大合併」によって荏隈村、永興村、奥田村とともに新「荏隈村」になります。

 もっと正確に言うと、三芳村が荏隈村、永興村、奥田村と合併したのは明治17(1884)8月の県による改正で、この時は「永興村」となった。その後の明治の大合併で「永興村」は「荏隈村」に村名が変わったのだそうです。

 細かいことはともかく、ここではっきりとしていることは、志手、椎迫をひとくくりにした「大字三芳」の「三芳」は明治時代に生まれた村名であるということです。

 ついでにAIによる大字の説明も見ておきます。


 ここでは「明治の大合併」がキーワードになります。

 大字の由来として「明治時代の大合併により、複数の村がひとつの新しい村になった際、旧村の名前を残すために地名の前に『大字』と付けるようになりました」と説明されています。

 明治時代に大規模な町村合併が行われ、それによって消える村名が「大字」として残された。だから、志手や椎迫は古くからの村名である志手、椎迫ではなく、明治に入ってできた三芳村の「三芳」が大字になった。

 この説明は正確です。一方、江戸時代の村の名残りという説明は「三芳村」などの例外を考えればやや正確さに欠けると言わざるを得ません。

 AI先生も「筆の誤り」といったところでしょうか。

 なぜAIは「大字は江戸時代の村の名残」と書いたのでしょうか。あくまでも「概要」だから、わずかな例外があってもだいたい正しければいいという判断かもしれません。

 それとも参考にした資料を鵜呑みにしてしまったのでしょうか。住宅地図でおなじみのゼンリンのウェブサイトに「地理人コラム」というのがありました。


 そこで「大字と字」が取り上げられ、「大字」とは「江戸時代の村を継承した範囲・地名」と書かれています。

 AIはこれを読んで「江戸時代の名残」と書いたのかもしれません。コラムですからあまり細かいことを書いてもややこしくなるし、長々と書くことも難しいとなれば、ざっくりとした表現になることもあるでしょう。


 「確かだと思われる資料でも100%正解ではないかもしれない」。志手の小字名を調べる中で感じたことです

 右の角川日本地名大辞典の大分県編にあった旧志手村の小字リストのことです。

 前々回のブログ「小字あれこれ その⑥ 食い違う資料」(2026年6月5日公開)に書きました。

 大分県立図書館にある「村図大分郡三芳村」(明治21年刊行)などと照らし合わせてみると食い違いが出てきました。

 現段階ではこのブログの筆者は角川日本地名大辞典の大分県編に問題ありと考えています。大辞典にある志手村の小字リストは正確さに欠けていると思っています。

 細心の注意を払っても完璧なものは作りあげるのは難しいことです。大辞典も作れば終わりではなく、その後も調査研究を続けていくことで精度が高まっていくでしょう。

 AI先生も、このブログ「大分『志手』散歩」と「三芳村」を発見すれば、「江戸時代の名残」の注釈に「例外もある」などと書き加えてくれるかもしれません。

 

  
 

6/19/2026

ミカンとりんご③ 見出しは「面積最低」

目を引いた農業新聞の見出し

ミカンとリンゴは面積最低⁉

 


 このブログ「大分『志手』散歩」でミカンとリンゴのことを書いたのは1年前の6月でした。その時も日本農業新聞の記事に触発されて書いたのでしたが、今回も同じです。


 ちなみに「大分『志手』散歩」の1年前の投稿は「余話 ミカンとりんご 日本農業新聞より」(2025年6月9日公開)と「ミカンとりんご➁ 志手ミカンの始まりは」(2025年6月14日公開)です。

 さて、今回取り上げる記事は日本農業新聞の2026(令和8)年6月7日付のものです(上の写真)。大分県立図書館でコピーしました。

 記事の見出しは「リンゴ、ミカン面積最低」「生産基盤弱体化が顕著」です。「最低」「弱体化」「顕著」は言葉の響きが強く、このブログ「大分『志手』散歩」の筆者の目に瞬間的に飛び込んできました。
 
この続きは下の「続きを読む」をクリックしてください。

6/05/2026

小字あれこれ その⑥ 食い違う資料

編者は同じで異なる小字

二つの資料の違いに困惑



 
いいものを見つけたと思いました。大分県立図書館にあった「角川日本地名大辞典 44 大分県」(角川書店発行)です。

 都道府県ごとに出版されており、大分県が発行されたのは1980(昭和55)年11月とあります。

 辞典は全部で1318ページあり、分厚く重たいものです。

 「志手村」は407ページにありました。

 大辞典の説明ではまず「志手村<大分市> 江戸期~明治8年の村名」とあります。

 なぜ明治8(1875)年までかというと、このブログ「大分『志手』散歩」でも紹介しましたが、この年に志手村と椎迫村は太平寺村の一部を加えて合併し、三芳村になり、志手村がなくなったからです。

 ただ、通称として「志手」は残りました。そして今も生きていることは、このブログ「ふるさとだよりで知る志手のトリビア⑤『三芳』と『志手』 二つの住所」(2023年2月13日公開)で紹介しています。

 さて、この大辞典を読んで、このブログの筆者が喜んだのは「志手村」の説明が載っていたからではありません。


 
1173ページから始まる「小字(こあざ)一覧」で旧志手村の小字を見つけたからです。

 旧志手村を含む三芳村の小字リストは1181ページにありました(上の資料)。太平寺、椎迫、志手の旧村ごとに小字が書いてあります。

 大辞典によると、志手村の小字は「クス亀」「札場」「売田」「フケ」「平」「辻」「屋敷」「後口平」となっています。

 これとこのブログの「小字シリーズ」で使ってきた字図を照合すれば、旧志手村がどのあたりで、どれくらいの広さだったのか、大体分かるのではないか。そう思ったのですが、そう簡単ではありませんでした。

 資料を照らし合わせると、食い違いがあり、どうも辻褄があわないようなところが出てきたのです。

 (このあとは下の「続きを読む」をクリックして下さい)

5/08/2026

志手ぶらぶら路上観察記⑨自販機その2

ピザ自販機の化粧直し

3年間で変わったのは


 志手でピザの自動販売機を見たのは3年前の5月でした。

 隣りにパンの自販機がありました。二つの自販機が目に入ったのは自販機に装飾を施している人がいたからです(右の写真)。

 パンの自販機はいつのまにかなくなってしまったのですが、ピザの自販機は健在です。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は先月末、3年前に自販機に絵を描いていた人と思しき人物を自販機のところで見かけました。

 その翌日だったと思います。自販機を見に行くと、何も書かれていなかった自販機の側面に、ほかの面と同じような絵が描かれていました。

 いまごろ何のためでしょうか。隣のパンの自販機がなくなったので、少し目立つように装飾を施したとも考えられます。

 そんな手をかけたということは、この自販機は売り上げがあがっている、商売になっているということでしょう。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者も買ったことがあります。 

 さて外見が少し新しくなった自販機の中身はこの3年でどう変化したのでしょう


 上が3年前に撮影した自販機、下が最近撮った自販機です

 上の写真にはビニールのカバーがかかっていて読み取りにくいですが、一番上の左は「マルゲリータ」、真ん中は「クアトロフォルマッジ」、右側は「チチニエリ」と書いてあります。

 上から二段はこの3種類で、上から3番目と4番目は左が「パターテ・フォルマッジ」、右が「自家製塩麴チキンと温泉パプリカのピッツァ」となっています。



 さて最近のメニューはどうなっているのでしょう。一番上の左の「マルゲリータ」は3年前と同じです。

 その横は「花民の紅白ピッツァ」となってます。その隣はピザではなく「アイスレアチーズケーキ」でした。

 「花民」とは冷凍ピザの製造販売をしている店舗。紅白ピッツァはマルゲリータとクアトロフォルマッジが半分ずつ入っている花民一番人気のピザだそうです。

 上から二段目までは同じもので、その下に「自家製塩麴のチキンと温泉パプリカのピッツァ」と「キノコとパンチェッタ」が入っています。


 いつ商品が入れ替わったのか分かりません。なんとなく前とは違うなとは思っていたのですが、こうして写真を見比べてみて気が付きました。

 ちなみに「マルゲリータ」の価格は1,200円で3年前と変わっていません。

 この間原材料費や何やらと上がっているでしょう。価格据え置きの代わりに少しサイズが小さくなっているのかもしれません。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は最近マルゲリータを買ってみましたが、以前買った時の大きさを忘れてしまって、量が減ったかどうか分かりませんでした。



 

5/03/2026

志手ぶらぶら路上観察記⑧キオビエダシャク

 やたら目につくこの蝶は



 やたらと目に付くチョウがいると思ったら、チョウではありませんでした。ガ(蛾)でした。ネットでちょっと調べてみたら「キオビエダシャク」という名前が分かりました。

 マキノキの下の雑草を刈る作業をし
ていたら、このガがあちこちで見つかりました(左の写真)。

 「大分県」「キオビエダシャク」のキーワードで検索すると、AIによる概要説明がありました。

 AIによると、大分県内(大分市、佐伯市、臼杵市、竹田市など)では、イヌマキ(ヒトツバ)を食い荒らす外来種のガ(キオビエダシャク)の大量発生が報告されており、注意が必要だそうです。

 キオビエダシャクの幼虫がイヌマキの葉を食い尽くし、重症化すると樹木を枯死させると書いてあります。


 2025(令和7)年秋以降、大分県南部の佐伯市を中心に目撃情報が相次ぎ、同年10月には枯死した樹木も確認されているそうです。
テレビ大分(TOS)のニュースになって放送されていました(上の写真)。 

 それ以前にも大分県内に生息していたのかもしれません。ただ、その数は極めて少なかったのでしょう。このブログ「大分『志手』散歩」の筆者はこれまで気にも留めていませんでした。

 あらためてキオビエダシャクを見つけたマキノキを見てみると、枯れてはいませんが、葉っぱがなくて、確かに❝食い物❞にされた感じです。

 ネットで見たAIの説明に、大分市の公式ページや臼杵市の公式サイトで注意を呼び掛けている、というので検索してみました。


 それが上の資料です。大分市のサイトに掲載されていました。大分市によると、市内で目撃情報があり、被害の拡大が懸念されているそうです。

 臼杵市でも同様の注意喚起があり、駆除方法などが具体的に書かれていました。


 宮崎県のホームページをみると、キオビエダシャクはもともとはインドからマレー半島あたりに生息していたようです。それが北上してきて鹿児島県や宮崎県に侵入し、ついに昨年大分県でも確認されたとのことです。

 ということは福岡など北部九州各県や中国・四国にも入っていく可能性は高いのではないかと思われます。

 そう思って検索してみると毎日新聞の記事がありました(左の写真)。

 今年の3月15日の日付です。「南方系の蛾」「愛媛県で初の生息確認」「温暖化で北上か」と見出しがあります。

 愛媛のキオビエダシャクは昨秋に見つかっていたのですが、確認されたのが3月頃だったということのようです。

 キオビエダシャクが広がっているのは温暖化の影響でしょう。冬の気温の高さがキオビエダシャクの幼虫の越冬を容易にしたと考えられます。


 大分地方気象台が毎月発表する「大分県気象月報」を見ると、大分市の今年1月の平均気温は「平年並み」でしたが、3月は平年より「高い」で、2月は「かなり高い」(上の資料)となっています。

 本来なら冬の寒さに耐え切れず死ぬはずの幼虫が暖冬で生き残り、4月になって羽化し始めたとしたら、やたらと目に付くのも当たり前かもしれません。これで理屈は合っていそうです。


◇     ◇     ◇     ◇


 このブログ「大分『志手』散歩」の新規投稿をしばらくお休みしていました。この投稿は今年1月4日公開の「志手ぶらぶら路上観察記⑦満月」以来になります。これを機にまたぼちぼちと新規投稿をしていこうと思っております。

1/04/2026

志手ぶらぶら路上観察記⑦ 満月

「お盆のような月」が東に


 

 季の坂3丁目の坂道をクルマで上っていると「お盆のような月」が目に入りました。「今日は満月か」。そう思って、持っていたカメラでとりあえず写真を撮りました。

 Google検索してみると、これは2026(令和8)年の最初の満月だそうです。別名「ウルフムーン」というのだとか。ちっとも知りませんでした。

 「ウルフ」は「狼」、「ムーン」は「月」で「狼月」となります。

 アメリカでは真冬の食糧不足を嘆く飢えたオオカミの遠吠えにちなんで1月の満月をそう名付けたとか。

 よく分かりませんが、久しぶりにじっくりと大きな月を見ました。

 そして「まあるい まあるい まんまるい」「お盆のような月が」という童謡の歌詞が頭に浮かびました。

1/01/2026

毘沙門堂の案内板

初詣前に毘沙門堂に案内板 



 新年を迎える志手の毘沙門堂に案内板が設置されていました。


 案内板には毘沙門堂の説明があります。

 ちょっと読んでみましょう。

 「本堂に御在する毘沙門天王は延暦23年(804)遣唐使一行に同行された伝教大師(最澄)が、翌年(805)唐より供奉帰朝された尊像であり、その折にこの地に一宇を建立したと謂われております」

 上の説明文の下に中世大友時代の府内古図のコピーがあり、府内城下の外れにある毘沙門堂(志手毘沙門)が赤い〇で囲ってあります。


 毘沙門堂に関する上記の説明は志手に伝わる「毘沙門天尊像之縁記」(上の写真)に書かれてあるものです。

 この縁記についてはこのブログ「大分『志手』散歩」の「毘沙門堂今昔その3 『室町』に始まる浄土真宗との縁」(2024年5月27日公開)にも少し書いています。

 「毘沙門堂今昔」と題してこのブログで志手の毘沙門堂について書いたのは2024(令和6)年2月から6月にかけてでした。

 最初に書いたのが「毘沙門堂今昔 予告編」(2024年2月13日公開)でした。

 地元の住民によって毘沙門堂の環境整備が進められ、きれいになった毘沙門堂には立ち寄る人が増えてきている。

 そんな話を書いています。

 今回の案内板の設置も毘沙門堂の環境整備の一環といえます。
 
 毘沙門堂の案内板にある「志手歴史再発見クラブ橘会」(志手橘会)については、このブログの「毘沙門堂今昔その1 由来を探る 志手橘会の活動」(2024年2月22日公開)で紹介しています。

 地域の歴史を掘り起こし、住民に伝える活動が地道に続けられているようです。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者も今年も「志手」を歩き、疑問に思ったこと、面白いと感じたことなどを伝えていきたいと思います。
 

小字あれこれ 余話 AIも筆の誤り

AI先生も筆の誤り 小さなミス見つけた  間違いではありませんが、少しだけ正確さに欠けるところがあるというのが正確でしょうか。  このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が「小字(こあざ)」についてあらためて調べてみようと思って、まずはGoogle検索してみました。すると、最初にAI...