5/03/2026

志手ぶらぶら路上観察記⑧キオビエダシャク

 やたら目につくこの蝶は



 やたらと目に付くチョウがいると思ったら、チョウではありませんでした。ガ(蛾)でした。ネットでちょっと調べてみたら「キオビエダシャク」という名前が分かりました。

 マキノキの下の雑草を刈る作業をし
ていたら、このガがあちこちで見つかりました(左の写真)。

 「大分県」「キオビエダシャク」のキーワードで検索すると、AIによる概要説明がありました。

 AIによると、大分県内(大分市、佐伯市、臼杵市、竹田市など)では、イヌマキ(ヒトツバ)を食い荒らす外来種のガ(キオビエダシャク)の大量発生が報告されており、注意が必要だそうです。

 キオビエダシャクの幼虫がイヌマキの葉を食い尽くし、重症化すると樹木を枯死させると書いてあります。


 2025(令和7)年秋以降、大分県南部の佐伯市を中心に目撃情報が相次ぎ、同年10月には枯死した樹木も確認されているそうです。
テレビ大分(TOS)のニュースになって放送されていました(上の写真)。 

 それ以前にも大分県内に生息していたのかもしれません。ただ、その数は極めて少なかったのでしょう。このブログ「大分『志手』散歩」の筆者はこれまで気にも留めていませんでした。

 あらためてキオビエダシャクを見つけたマキノキを見てみると、枯れてはいませんが、葉っぱがなくて、確かに❝食い物❞にされた感じです。

 ネットで見たAIの説明に、大分市の公式ページや臼杵市の公式サイトで注意を呼び掛けている、というので検索してみました。


 それが上の資料です。大分市のサイトに掲載されていました。大分市によると、市内で目撃情報があり、被害の拡大が懸念されているそうです。

 臼杵市でも同様の注意喚起があり、駆除方法などが具体的に書かれていました。


 宮崎県のホームページをみると、キオビエダシャクはもともとはインドからマレー半島あたりに生息していたようです。それが北上してきて鹿児島県や宮崎県に侵入し、ついに昨年大分県でも確認されたとのことです。

 ということは福岡など北部九州各県や中国・四国にも入っていく可能性は高いのではないかと思われます。

 そう思って検索してみると毎日新聞の記事がありました(左の写真)。

 今年の3月15日の日付です。「南方系の蛾」「愛媛県で初の生息確認」「温暖化で北上か」と見出しがあります。

 愛媛のキオビエダシャクは昨秋に見つかっていたのですが、確認されたのが3月頃だったということのようです。

 キオビエダシャクが広がっているのは温暖化の影響でしょう。冬の気温の高さがキオビエダシャクの幼虫の越冬を容易にしたと考えられます。


 大分地方気象台が毎月発表する「大分県気象月報」を見ると、大分市の今年1月の平均気温は「平年並み」でしたが、3月は平年より「高い」で、2月は「かなり高い」(上の資料)となっています。

 本来なら冬の寒さに耐え切れず死ぬはずの幼虫が暖冬で生き残り、4月になって羽化し始めたとしたら、やたらと目に付くのも当たり前かもしれません。これで理屈は合っていそうです。


◇     ◇     ◇     ◇


 このブログ「大分『志手』散歩」の新規投稿をしばらくお休みしていました。この投稿は今年1月4日公開の「志手ぶらぶら路上観察記⑦満月」以来になります。これを機にまたぼちぼちと新規投稿をしていこうと思っております。

1/04/2026

志手ぶらぶら路上観察記⑦ 満月

「お盆のような月」が東に


 

 季の坂3丁目の坂道をクルマで上っていると「お盆のような月」が目に入りました。「今日は満月か」。そう思って、持っていたカメラでとりあえず写真を撮りました。

 Google検索してみると、これは2026(令和8)年の最初の満月だそうです。別名「ウルフムーン」というのだとか。ちっとも知りませんでした。

 「ウルフ」は「狼」、「ムーン」は「月」で「狼月」となります。

 アメリカでは真冬の食糧不足を嘆く飢えたオオカミの遠吠えにちなんで1月の満月をそう名付けたとか。

 よく分かりませんが、久しぶりにじっくりと大きな月を見ました。

 そして「まあるい まあるい まんまるい」「お盆のような月が」という童謡の歌詞が頭に浮かびました。

1/01/2026

毘沙門堂の案内板

初詣前に毘沙門堂に案内板 



 新年を迎える志手の毘沙門堂に案内板が設置されていました。


 案内板には毘沙門堂の説明があります。

 ちょっと読んでみましょう。

 「本堂に御在する毘沙門天王は延暦23年(804)遣唐使一行に同行された伝教大師(最澄)が、翌年(805)唐より供奉帰朝された尊像であり、その折にこの地に一宇を建立したと謂われております」

 上の説明文の下に中世大友時代の府内古図のコピーがあり、府内城下の外れにある毘沙門堂(志手毘沙門)が赤い〇で囲ってあります。


 毘沙門堂に関する上記の説明は志手に伝わる「毘沙門天尊像之縁記」(上の写真)に書かれてあるものです。

 この縁記についてはこのブログ「大分『志手』散歩」の「毘沙門堂今昔その3 『室町』に始まる浄土真宗との縁」(2024年5月27日公開)にも少し書いています。

 「毘沙門堂今昔」と題してこのブログで志手の毘沙門堂について書いたのは2024(令和6)年2月から6月にかけてでした。

 最初に書いたのが「毘沙門堂今昔 予告編」(2024年2月13日公開)でした。

 地元の住民によって毘沙門堂の環境整備が進められ、きれいになった毘沙門堂には立ち寄る人が増えてきている。

 そんな話を書いています。

 今回の案内板の設置も毘沙門堂の環境整備の一環といえます。
 
 毘沙門堂の案内板にある「志手歴史再発見クラブ橘会」(志手橘会)については、このブログの「毘沙門堂今昔その1 由来を探る 志手橘会の活動」(2024年2月22日公開)で紹介しています。

 地域の歴史を掘り起こし、住民に伝える活動が地道に続けられているようです。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者も今年も「志手」を歩き、疑問に思ったこと、面白いと感じたことなどを伝えていきたいと思います。
 

志手ぶらぶら路上観察記⑧キオビエダシャク

  やたら目につくこの蝶は  やたらと目に付くチョウがいると思ったら、チョウではありませんでした。ガ(蛾)でした。ネットでちょっと調べてみたら「キオビエダシャク」という名前が分かりました。  マキノキの下の雑草を刈る作業をし ていたら、このガがあちこちで見つかりました(左の写真)...