6/09/2023

大分まち歩き/アイデア市長の遺産⑤遊歩公園1

 「大分の歴史」語る彫刻 遊歩公園 



 「アイデア市長の遺産」と題して、1947(昭和22)年から1963(昭和38)年まで4期16年にわたって大分市長を務めた上田保氏(故人)の遺したものを見てきました。

  野生のサルを餌付けして観光の目玉にする。上田さんのアイデアは「高崎山自然動物園」となって多くの観光客を集めました。高崎山のサルと上田さんは一躍有名になり、「アイデア市長」として名を馳せました。

 上田さんにはもう一つの異名がありました。それが「公園市長」です。米軍の空襲で焼け野原となった大分市中心部の復興計画に沿いながら、上田さんはユニークな公園を生み出しました。それが若竹公園、若草公園、ジャングル公園で、上野の墓地公園もそうです。

 ジャングル公園については「大分まち歩き④住居表示番外編④都町Ⅲ」で紹介しています。

 上田さんが造った代表的な公園にはもう一つ「遊歩公園」があります。どんな公園なのか。冒頭の短い動画にまとめてみました。

 上田さんにとって、遊歩公園に彫刻を据えることは晩年の大きな楽しみだったのではないかと思います。左のイラストにある彫刻はすべて上田さんが関わっています。

 「西洋音楽発祥記念碑」「西洋医術発祥記念像」「西洋劇発祥記念碑」「伊東ドン・マンショ像」(天正遣欧少年使節)…

 彫刻をながめ、横にある案内板を読むと、「西洋」と出会い、それを受け入れ、文化や貿易の先進地となった郷土の歴史を語る上田さんの顔が浮かんできそうです。

 上田さんは自分たちが生まれ育った大分にもっと誇りをもってほしいと思ったのかもしれません。




  上田さんは市長退任後、高崎山自然動物園の真ん前に「大分生態水族館『マリーンパレス』」を開館します。この時も上田さんのアイデアマンぶりが発揮されます。

 世界初の「回遊水槽」を造りました。ドーナッツ型の水槽の中に水の流れを作り、それに乗って魚が泳ぐ。斬新な仕掛けでした。

 マリーンパレスの開館前後のことは「大分まち歩き/アイデア市長の遺産⓵高崎山 細る客足」で少し紹介しています。

 このユニークな水族館も人気を呼び、収益を上げます。社長の上田さんは儲けの一部を地域に還元するという意味でしょう、毎年のように彫刻を大分市に寄贈しました。

 上のイラストの「健ちゃん」は1969(昭和44)年設置でマリーンパレス創業5周年を記念して寄贈したものです。

 続いて遊歩公園横の県庁前広場にある「西洋音楽発祥記念碑」は1971(昭和46)年でマリーンパレス創業7周年、「西洋医術発祥記念像」が1972(昭和47)年の創業8周年、「育児院と牛乳の記念碑」が1973(昭和48)年の創業9周年、「西洋劇発祥記念碑」が1974(昭和49)年の創業10周年、「伊東ドン・マンショ像」が1975(昭和50)年の創業11周年と次々に寄贈されています。

 中世の府内にキリスト教の宣教師とともに入ってきた西洋文化と当時の人々とのかかわりがテーマとなり、さまざまな「大分の歴史」が分かる彫刻の散歩道となっています。

 散歩しながら歴史も学べるユニークな公園なのですが、あまり歩いている人を見かけません。
 

 両側に2車線の道路が走り、その間の広い中央分離帯が遊歩公園になっています。その中央分離帯も一本につながっていればまだいいのですが、あちこち道路で分断されています(上のイラストを参照ください)。

 公園ができた1950(昭和25)年頃とはクルマの往来が天と地ほど違います。クルマは急増し、交通量は増し、道を横断するのも容易ではなくなりました。利用者が減るのも自然なことで、このままではもったいないと活性化策が探られることになります。それが26年前のことでした。

 26年前の遊歩公園改造の動きは次回に紹介します。


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