5/21/2023

大分まち歩き/アイデア市長の遺産④高崎山番外編 田ノ浦ビーチ

 田ノ浦ビーチ 絶滅免れた海浜 



 開園70周年を迎えた国立公園高崎山自然動物園から約1キロの田ノ浦ビーチに足を延ばしてみました(上の動画)。今回のタイトルに「アイデア市長の遺産④高崎山番外編」と付けたのは、前回のブログ「アイデア市長の遺産③高崎山Ⅲ 存廃論議」と関係しているからです。

 高崎山との関連はあとで述べるとして、ここでは「田ノ浦ビーチ」に関する筆者の“発見”について最初に書いておきます。というのも、このブログの目的は、長く住んでいる人には常識でも、新参者にはちょっとした発見に思えることを書き留めていくことだからです。

 
田ノ浦ビーチがオープンしたのが2000(平成12)年7月でした。直前の「市報おおいた」6月15日号(上)にお知らせがあります。

 大きな写真が2枚。1枚は田ノ浦ビーチの全景を写したものです。海に突き出た人工島が見えます。パームツリー(ヤシの木)があちこちに植えられ、南国ムードが漂う現在(下の写真)とは印象が異なり、いかにも出来立てという感じが出ています。


 筆者がちょっとした発見だと思ったのは、仕上げを待つ田ノ浦ビーチの無骨な外観ではなく、市報にあった一文です。「田ノ浦」は「大分市近郊に残された唯一の自然海浜」と書いてありました。逆に言えば、田ノ浦を除く大分市の自然海浜はすべてなくなってしまったということです。

 さらりと書かれている一文にちょっと驚かされたのですが、考えてみれば、大分市の海岸線が大規模に埋め立てられ、鉄と石油の一大工業地帯となったことは、このブログでも書いていました※。

 ※大分まち歩き③住居表示番外編⓷都町Ⅱの「鉄と石油と夜の街」(2023年3月23日公開)をご参照ください。

 「鉄と石油と夜の街」で使った写真「大分県の新工業地帯」に「田ノ浦ビーチ」を加えてみました(下)。


 飛び地になっている田ノ浦は埋め立てを免れました。海岸の埋め立ては大分市に限ったことではありません。全国各地で工場誘致や港湾整備、その他さまざまな目的で海辺がコンクリートなどで固められていきました。

 失われた海浜に代わるものとして人工的なビーチが造られる。これも大分市に限ったことではありません。

 経済成長を最優先する時代には海を埋め立てるメリットは大きなものでした。成長を遂げ、余暇を楽しめる時代になると埋め立てのデメリット、海浜を失ったことの大きさといったものを感じるようになります。

 遠い将来を見据えて物事のメリット、デメリットを勘案しながらいろんなことができれば理想でしょうが、神ならぬ身の人間ではそうもいきません。高崎山自然動物園もそうでした。

 野生のサルの餌付けに成功し、サルを身近に見ながらエサもやれる珍しさが人気を呼び、多くの観光客を集めました。やがて入園者が減少に転じる一方、サルは急増し、農作物被害や森林の食害が問題となってきます。

 前回の「高崎山Ⅲ 存廃論議」では、高崎山の廃園も一時検討されたという話を紹介しました。

 (興味のある方は「続きを読む」をクリックして下さい)

 地元紙の大分合同新聞の記事で、2001(平成13)年、当時の木下敬之助・大分市長が高崎山自然動物園の「廃園」を検討していたと書かれていました。

 この記事を基に、当時の高崎山自然動物園の状況や木下市長の市議会での答弁などを少し調べてみました。

 市議会での答弁では、木下市長に「廃園」の意向があったのかどうかは明らかにできませんでした。ただ、入園者の減少とサルの急増に苦しむ高崎山の状況について深刻に考えていたことは分かりました。

 そして、高崎山観光のテコ入れ策として市長が説明したのが「西部海岸線3事業」による相乗効果でした。

  左の地図は大分市観光課発行「大分まち歩きガイドブック」から抜粋したものです。

 西部海岸3事業とは「高崎山・水族館」と「田ノ浦」「西大分港」の3地区で行われた事業を言います。

 高崎山・水族館地区では国道10号(通称別大国道)の拡幅工事に合わせて海岸線の6.5ha埋立工事が行われました。そこに2004(平成16)年4月、「大分マリーンパレス水族館『うみたまご』」が新装オープンし、新たに「高崎山おさる館」もできました。

 同時に国道10号を跨ぎ、うみたまご側と高崎山をつなぐ横断歩道橋や、高崎山の入園券売り場とサル寄せ場を往復するモノレール「さるっこレール」も整備されました。

 田ノ浦では1992(平成4)年度から「田ノ浦環境整備事業」が始まり、2000(平成12)年7月に海水浴場の田ノ浦ビーチがオープンします。その後、レストランもできました。

 3事業のもう一つ「西大分港」では大分県の港湾環境整備事業でウッドデッキと芝生の公園が造られました。県の事業が完了したのが2011(平成23)年度だったそうです。

 ほぼ同時期に近接した三つの地域で行われた県や市の事業のキーワードは「再生」でした。来場者が頭打ちになった観光施設の再生、市内に一つ残されていた自然海浜の再生、さびれた港の再生-というわけです。

 田ノ浦ビーチや西大分の「かんたん港園」は憩いの場として活用されています。しかし、高崎山自然動物園についてはその後のテコ入れでも、かつての賑わいには遠く及ばない現状です。3事業の相乗効果というのはどれくらいあったのでしょうか。

 高崎山を調べていて田ノ浦ビーチに行きついたのは筆者にとっては幸運でした。大規模な海岸線の埋め立てについて「大分まち歩き③住居表示番外編⓷都町Ⅱ」で書いていたのですが、その時は、うかつなことに、残った海浜は一つだけだったとは思っていませんでした。

 いろいろ調べていくうちに、ジグソーパズルの一片一片がはめ込まれていく感じで知識がつながっていくことが面白いと思います。


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