5/05/2023

大分まち歩き/アイデア市長の遺産➁高崎山Ⅱ 猿口抑制

サルの災難 高崎山70年➁ 

減量 避妊 苦心の猿口抑制策

 
 


 「動物園の『内』と『外』 栗食うサル」というタイトルの2分足らずの動画を作ってみました(上)。この動画は、冒
頭に国立公園高崎山自然動物園のホームページにある映像を少し拝借し、それに監視カメラに映ったサルの映像をくっつけただけの簡単なものです。


 監視カメラの映像は、画面に表示された通りの2019(平成31)年9月12日午後4時半過ぎに撮影されました。場所は高崎山の麓。大分市上八幡の柞原八幡宮近くで、栗などが植えられた農地です。

 筆者はここでたまに農作業の手伝いをしますが、夏の終わり頃から冬にかけて時折サルが姿を見せます。ちなみに左の写真は昨年11月撮影のものです。

 4年前に話を戻すと、8月18日に栗が食われているのを発見、8月25日、9月4日と被害が続きました。業を煮やして監視カメラを仕掛けたのが9月9日。サルの群れはその3日後に現れました。

 このサルたちは一体どこの誰なのでしょう。

(興味のある方は「続きを読む」をクリックして下さい)

 2000匹超えたサルが半分に


 「アイデア市長」と呼ばれた上田保さんが高崎山のサルの餌付けに成功し、野生のサルが間近に見られる自然動物園ができて70年になります。

 温泉を目玉に観光客を集める別府市とは対照的に、これといった観光資源がない大分市。別府を訪れた観光客を大分に呼び込む仕掛けはできないか。そう考えた上田さんが目を付けたのが高崎山の野生のサルでした。

 上田さんの狙いが当たって高崎山は観光客で大賑わいとなりました。しかし、それも昔の話です。最近はどうなのかということで、前回の「大分まち歩き/アイデア市長の遺産⓵高崎山 細る客足」で入園者(ヒト)の推移について書きました。今回はサルについて見てみようと思います。

 前回と同じ二つのグラフを見てみます。高崎山自然動物園開園以降のサルの数の増減(上)と入園者数の推移(下)です。


 グラフは開園70周年記念誌のデータを基に筆者が作成したものです。入園者(ヒト)は減少傾向が続いています。サルもピークだった1995(平成7)年の2128匹(頭)から見ると半減しています。高崎山自然動物園のホームページを見るとB群とC群を合わせて現在977頭と書いてあります。

 ほぼ30年で半減したことになります。

 半世紀に及ぶエサ減量作戦

 
 グラフを見れば一目瞭然ですが、餌付けが始まるとサルの数は急増しました。それがさまざまな問題を引き起こしました。事態の深刻さに関係者は驚き、猿口抑制を図ろうとします。最初にやったのがエサ減量でした。

 そのあたりのことは前回の「大分まち歩き/アイデア市長の遺産⓵高崎山 細る客足」で引用した「サルの生き方ヒトの生き方」(杉山幸丸著 農山漁村文化協会発行)にあります。かいつまんで紹介します。

 「野生ザルがあなたの手から餌をとります」というキャッチフレーズは大当たりに当たり、高崎山では1965(昭和40)年度に200万人近い年間入園者数を記録した。餌付け当初は約200頭だったが、「千匹ザル」を目標にほとんど無制限ともいえるほど餌をあたえ、管理者である大分市は産めよ増やせよと張り切った。

 高崎山では1965年に「千匹ザル」が達成された。年間13%という驚異的な増加率だった。ちなみに、むやみに餌を与えない安定した餌付け状態だと、年間増加率は7~10%で、7年から10年で2倍になる。自然状態では安定した年で年に3~3.5%である。これぐらいの増加率だと、5年か10年に一度大雪や山の木の実が大不作だったりして激減し、長い年月で見るとほんのわずかしか増えないことになる。

 (サルとヒトとの接触が増えてヒトにケガさせるトラブルや、サル寄せ場近くの森の荒廃が進むなどの弊害が出てきて)事態の重大さに管理者が気づいたのは1970年を過ぎてからだった。当時、本来なら人間の食べる消化の良い餌を、1日1頭当たり650から700キロカロリーも与えていた。

 飼育下のニホンザルだと、体重1㎏あたり70キロカロリーで十分に健康が維持できるという。高崎山のサルだと、おとなも子どもも含めて平均で300から350キロカロリーで十分だということになる。

 1976(昭和51)年※に出した私(杉山幸丸)の提言に基づいて、高崎山では350キロカロリー以下にまで減らす、減量作戦が始まった。

 高崎山のエサ減量作戦はほぼ半世紀に及ぶわけです。

 ※高崎山管理委員会の中間報告書には昭和50(1975)年に杉山幸丸氏の助言により減量開始とあります。

 賛否あった避妊 次善の策と試行

 エサ減量作戦の実施で、サルの数は年によって増えたり減ったりしながらも、しばらくは横ばいから微増といった範囲に収まっていました。ところが1993(平成5)年から94(同6)年、95(同7)年と3年連続して増加したのです。

 その数も93年の2013匹から94年に2079匹、そして95年には2128匹と3年連続で2000匹の大台を超え、95年は過去最高の数字になったのです。

 サルに与えるエサは282キロカロリーに抑えられていました。エサ減量作戦が強化されたのに逆にサルの数は増えている。この事実に関係者は衝撃を受けたはずです。
 
 猿口抑制策の第2弾が発動されることになりました。それが避妊措置でした。どんなことをするのか。「大分市高崎山管理委員会中間報告書 2021」に少し詳しく書いてあります。

 メスザルをワナで捕獲後、麻酔を施したうえで、合成黄体ホルモン剤を含むインプラント剤を体重6㎏以下のサルには1本、6キロ以上のサルには2本を背部に埋め込む―という処置のようです。避妊効果は3~4年と見込まれています。

この措置は試験的に1997(平成9)年に34匹、翌98年(同10)年に16匹の計50匹に施されました。

 上の写真は読売新聞の記事です。「高崎山の新世紀」のタイトルで1999(平成11)年8月~9月にかけて18回連載されたうちの7回目。避妊措置の賛否についても少し書いてあります。この連載はあらためて取り上げる機会があると思います。

 避妊措置は次に2002(平成14)年から04(同16)年の3年間で計62匹に実施され、その経過を見たうえで2009(平成21)年から毎年実施されるようになりました。高崎山管理委員会の報告書によると、2009年から2019(令和元)年までに計328匹のメスザルに避妊措置が施されました

  害獣と天然記念物 その境目は


 キャラメルに避妊薬を埋め込んで1週間に1回渡して食べさせる方法も試されたようです。ちなみにインプラント法でも経口避妊でも出産率を3%(ポイント)引き下げる効果が認められたそうです。

 

 避妊対策と並行してエサ減量作戦も強化されました。2014(平成26)年度から1日の給餌量282キロカロリーを少しづつ減らしていき、18(同30)年度には261キロカロリーまで落とされました。エサは減らされ、避妊はさせられ、自分(サル)が悪いわけでもないのに待遇はどんどん悪くなっていく。サルの恨み節でも聞こえてきそうな感じがします。

 ここであらためてサルの数の推移を見てみます。1995(平成7)年に2128匹と過去最多になった高崎山のサルは、1997(平成9)年には1687匹と大きく減りました。2割強のサルが姿を消した計算になります。

 避妊効果はまだこれからという時期で、エサの減量だけでこうも減るものなのでしょうか。この時期にもう一つ別の動きがありました。
 

 農作物を荒らす害獣のサルを大量捕獲しています。上のグラフは「高崎山のサルおよび自然の管理について 高崎山管理委員会中間報告書」から引用しました。この報告書は2001(平成13)年10月に出されています。

 上のグラフの折れ線がサルの捕獲数ですが、1996(平成8)年が252匹、98(同10)年が220匹と突出しています。中間報告書でも「被害農家からの訴えがあったにしても、あまりの多さである」と苦言が呈されています。そのうえで「1997年から1998年の総個体数の減少は、この大量捕獲によって連鎖的に導き出されたものであろう」と結論付けています。
 ちなみにこの章の執筆者の一人が杉山幸丸氏です。

 天然記念物であるサルをむやみに捕獲することなどできません。しかし、国立公園高崎山自然動物園の区域外で、農作物に被害を及ぼす害獣については、法律などに基づき駆除が行われています。捕獲されたのは高崎山に生息するサルではなく、その周辺部にいるサルだといいます。


 天然記念物のサルと害獣のサルの境はどこにあるのでしょう。高崎山には国立公園に指定された地域とその外を隔てる電気柵が張り巡らされているそうです。

 「大分市高崎山管理委員会中間報告書 2021」によると、ニホンザルの高崎山外への離脱防止を目的として1989(平成元)年度に田ノ浦(大分市)側から設置に着手。その後、別府市側、由布市側へと延伸し、2003(平成15)年度には全長約7キロの電気柵を設置するに至ったそうです。

 その後も電気柵の改修などを行い、サルが“脱走”できないように努めていると報告書にあります。だから、高崎山のサルが害獣として捕まることはないということになります。

 つまり、高崎山の周辺部に出没して悪さをするサルは別物ということですが、いま一つすっきりしません。捕獲されるサルが多いのです。こんな数のサルが一体どこから来て、高崎山周辺に住みつくのでしょうか。


 高崎山管理委員会の報告書に最近のサルの捕獲数の推移があります。それによると、2017(平成28)年度の283匹を筆頭に2016(平成27)年度から19(令和元)年度まで4年連続で捕獲数が200匹を超えています。特に別府市側での捕獲数の増加が目立っています。

 捕まえても捕まえてもサルが減らないというのもちょっと不思議な気がします。

 2002(平成14)年にA群が移出(どこかに出て行ったということでしょうか)し、高崎山はB群、C群の計1235匹と大きく減りました。

 1000匹を切ったとはいえ、餌付け前の200匹余りに比べて大所帯であることに違いはありません。エサを与えずに群れを放置することはできません。サルを餌付けした人間がサルの面倒を見るしかないようです。

 だが、こんなことをいつまでも続けていいのか。いっそのこと野生に戻してはどうか。こんな意見も当然あるでしょう。実際、「高崎山」を廃園にしようという動きもあったようです。次回は新聞記事を材料にして、そのあたりを少し書いてみようと思います。

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