5/14/2023

大分まち歩き/アイデア市長の遺産③高崎山Ⅲ 存廃論議

「廃園」を口にした市長

高崎山 22年前の岐路



 開園70周年を迎えた国立公園高崎山自然動物園について少し調べていくうちに、高崎山の「廃園」が一時検討されていたことを知りました。

 左は2017(平成29)年5月16日付の大分合同新聞夕刊の連載企画「岐路に立つ高崎山(上)」です。

 この中に2001(平成13)年、当時の木下敬之助・大分市長が「いつまで続けるか決まっておらず、廃園も視野に入れている」と発言したと書かれています。

 続けて記事には「周辺の農作物被害の増大や赤字体質を背景に、園職員に(市長の)廃園の意向が伝えられたという」とあります。

 木下市長はその後、廃園の意向を撤回したと記事は伝えます。
 
 振り返れば今から20年余り前に高崎山自然動物園は開園以来最大の岐路に立っていたことになります。この時、廃園を決断、実行していれば今頃はどうなっていたでしょうか。

(興味のある方は「続きを読む」をクリックして下さい)

 サルに“市民税”を払わせる

 70年以上前、当時の大分市長だった上田保さんは高崎山の野生ザルを手なずけ、観光資源にできないかと考えました。上田さんは1952(昭和27)年11月からサルの餌付けを試み、翌年春には成功。サルを間近に見ることができる観光スポットとして高崎山自然動物園を開園します。

 観光客がサルに直接エサを与える。これが珍しくて評判を呼び、年間100万人を超える観光客を集めるようになったことは、前回と前々回のブログ「大分まち歩き/アイデア市長の遺産」の①②でも書きました。

 サル寄せで有名になった上田さんは新聞小説のモデルにもなりました。それが作家火野葦平の「ただいま零匹」です。1955(昭和30)年11月20日から翌56(同31)年4月22日まで朝日新聞夕刊に連載されました。
 右の写真は1956(昭和31)年に新潮社から出た単行本「ただいま零匹」の表紙です。

 この本の冒頭部分に大分市長の園部久一郎の次のような言葉があります。

 サルを餌付けして観光資源にすることは「結果においては、サルから市民税を取ることになるわけです。サルだって、大分市に住んでいる以上は市民税を納める義務がある。それが失業対策の財源となって、今日集まっている諸君に仕事を与える順序になる」

 サルの餌付けは当初、リンゴをエサにして試みられました。これに対し、「市民は食うや食わずで飢えかかっとるのに、これはほったらかし。サルには、おいしいリンゴを食わせとるとは、どういう了見か」と怒った群衆が大分市役所に押し寄せます。その群衆の代表と市長室で対面した市長が言った言葉でした。

 
 ここで前回と前々回に使った「入園者数の推移」のグラフを見てみます。

 高崎山自然動物園の入園者は1960(昭和35)年度に100万人を突破し、1978(昭和53)年度まで19年連続で100万人の大台超えを記録しました。
 
 小説の中の市長が言った、その言葉通りに、サルは多くの入園者を集め、長く“市民税”を払うことになりました。

 高崎山のサルは大分市の観光の目玉として直接的にも間接的にも市の経済に恩恵をもたらしました。

  “ドル箱”一転、“お荷物”に
 ドル箱とは少々古い表現ですが、「多くの人に利益をもたらす人や商品」といった意味です。

 さて、順調にお客さんを増やしていった高崎山も1965(昭和40)年度に190万人余を集めたのをピークにして、年によって増減がありながらも、入園者数は減少傾向をたどります。

 廃園を考えたという木下敬之助市長の時代はどうだったのでしょうか。
 
 ウィキペディアなどを見ると、木下敬之助氏が大分市長を務めたのは1991(平成3)年4月から2003(平成15)年4月までの3期12年でした。

 この間、入園者は激減しました。木下氏が市長に就任した1991年度に99万7042人だったのが、2002年度は29万770人と3分の1以下になりました。

 一方、サルの数は91年(平成3)年に2067匹と2千匹を超えます。92(同4)年にいったん減りますが、93(同5)年、94(同6)年、95(同7)年と3年連続で増え、95年は過去最高の2128匹に達しました。

 この後サルの数は減るのですが、高崎山自然動物園の区域外でサルが害獣として大量に捕獲された年があります。



 前回の「大分まち歩きアイデア市長の遺産➁高崎山Ⅱ猿口抑制」でも書きましたが、1996(平成8)年に252匹、98(同10)年には220匹が農作物を荒らす害獣として駆除されました。
 
 駆除されたサルが多すぎる。捕獲されたのは動物園外のサルだけでなく、園内のサル、つまり天然記念物のサルも含まれているのではないか。そう考えるのが自然でしょう。

 餌付けによるサルの急増で①農作物被害②森林の食害⓷サル社会の変化など、さまざまな問題が起き、見過ごせないほどになってきました。

 そこで市は高崎山の現状と課題を市民に知ってもらおうと「高崎山のサルを語る講演会」を企画します。右上の写真は「市報おおいた」1997(平成9)年11月1日号に掲載された講演会開催(11月16日)の告知です。

 「高崎山の森とサル」をテーマに「自然保護の在り方」を語り合おうと、市民に講演会参加を呼びかけました。この頃市長の頭の中に「廃園」の文字がうっすらとでも浮かんでいたのでしょうか。

 採算割れ、“蓄え”も底ついて
 入園者の減少で高崎山は採算割れとなります。当時の高崎山自然動物園の財政状況を少し解説した新聞記事があります。

 前回の「大分まち歩き/アイデア市長の遺産➁」でも紹介した読売新聞の連載記事「高崎山の新世紀」(全18回)です。今回は1999(平成11)年8月11日付の連載2回目を紹介します。

 最初の傍線部分を見てみます。「これまでの黒字分を積み立てた観光振興基金も、昨年度で使い果たした」。昨年度とは1998(平成10)年度でしょう。いずれにしろ、これまでの蓄えが木下市長時代には底をついてしまったということです。

 二つ目の傍線は飛ばして三つ目の傍線を読んでみます。「高崎山は、年間入園客が年間60万人で収支が合い、70万人でようやく黒字になる」

 となると、高崎山自然動物園は62万6279人を集めた1996(平成8)年度を最後に、その後は採算割れの状態が続いているということになります。ちなみに97(同9)年度の入園者数は49万6924人です。現在の集客数はさらに少なくなっています。

 細る客足、増えるサル。動物園の経営は赤字となりました。サルに“市民税”を払ってもらうどころか、市民の税でサルを養わなければならない事態になったわけです。

 どうすれば高崎山に観光客が戻ってくるのか。復活の道筋を考えることが第一でしょう。しかし、先行きに明るい見通しが持てないとしたら、廃園も選択肢の一つになります。
 やめられない とまらない

 高崎山の存廃問題について木下市長の時代に具体的にどんな議論ががされたのか。もう少し詳しく知りたいと考え、思いついたのが大分市議会の記録を閲覧することでした(上の写真は大分市庁舎の議会棟です)。

 ネットで検索すると、「大分市議会 会議録検索システム」というのがあり、1998(平成10)年から現在までの議事録を見ることができます。木下市長が廃園を口にしたとされる2001(平成13)年の議事録を中心に当時の議会でのやり取りを抜き出してみました。

 2001(平成13)年3月16日。3月の定例会で議員が高崎山について質問します。その内容を以下に要約してみました。
 入園者、料金収入は減少する一方、サルによる農作物被害の補償金額は年々増加している。このため、サルが園外に出ないように電気柵の設置を検討しているという。そこまでして動物園を維持しなければならないのか。観光や休日の過ごし方が多様化している現在、もう動物園の役目は終わったのではないか。そろそろ何か英断を下した方がよいのではないか

 市長の口から「廃園」の意向が出るとすれば、このあたりかなと思って市長答弁を読んでみました。

 市長は、都市近郊における野生ザルの餌付けという、全国的にもユニークな自然観察、学習体験型の野猿公園として多くの観光客に親しまれ、大分市を代表する観光拠点としての役割を担ってきた、と切り出します。

 そして、しかしながらと続けます。急激な猿口増加によってさまざまな問題が顕在化してきた。観光形態の多様化などで入園客の減少は著しく、高崎山海岸総合整備事業の推進を契機として、高崎山観光のあり方そのものの見直しを迫られている―と前置きし、核心に近づいていきます。

 長い答弁はもうしばらく続くのですが、結論部分を少し引用すると「従いまして、現状で直ちに餌付けを廃止することは、ご指摘のように、森林植生の崩壊、周辺部への(農作物)被害拡散につながる恐れがありますことから、総合的な視点に立って、ある程度は中長期的な取り組みを覚悟しなければならない課題であると考えているところであります


 いま赤線の部分だけ読んでも存続なのか廃園なのか、これだけでは少し分かりにくいですが、答弁の全体を見ると、廃園を考えているようには受け取れません。3日後の3月19日に別の議員の質問に答えた市長の発言があります。

 「高崎山海岸総合整備事業につきましては、国道10号の拡張事業に合わせて、その沖合を埋め立て、高崎山、マリーンパレスを中心に、田ノ浦公園とも連携したシーサイドゾーンを形成し、魅力ある観光拠点として(略)整備を行うものでございます」


 「動物園とマリーンパレス(うみたまご)」と「田ノ浦ビーチ」(写真上)、それに「西大分地区ウォーターフロント」の西部海岸線3事業を組み合わせることで、3事業の相乗効果で高崎山に賑わいを取り戻すということのようです。すると「廃園」はありえないとの結論になります。

 分かりやすい地図がJR九州のウォーキング参加者募集のチラシにありましたので引用しました(上の地図)。

 議会答弁の記録を見る限り、木下市長が廃園を検討していたのかどうかはっきりしません、もしかしたら3月議会の前に、そんな話があったのかもしれません。

 いずれにしろ一八〇度の方向転換は難しいということで、いろいろとテコ入れが行われましたが、結果は今ひとつのようです。

 木下氏以後の市長も基本的には西部海岸線3事業の推進による高崎山の活性化という路線は変わらないようです。では、この3事業の相乗効果は具体的にどれくらいあったのでしょうか。また機会があれば調べてみたいと思います。

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