志手の地名の語源 「神田」説の出どころは?
上の写真は2021(令和3)年7月24日の志手天神社です。撮影したのは午後4時ごろ。いつもの年なら、揃いのはっぴを着た子どもたちがそろそろ集まる時間でしょう。7月24日は志手天神社の祭りの日です。子ども神輿(みこし)が夕方、神社を発って町内を巡ります。しかし、今年は子ども神輿はありません。
下の写真は2019(令和元)年7月24日です。新型コロナウイルスの感染拡大を避けるため、昨年、今年と2年続けて子ども神輿は中止を余儀なくされました。
志手の氏神、志手天神社の創建はいつ頃でしょうか。結論を言えば、創建年月は不詳。分かりません。ただ、江戸時代の地誌「豊府聞書」に、慶長7年(1602)に志手村の村民が話し合って天満社の廟社を再建した、と記されています。
豊府聞書は、戸倉貞則という人物がまとめた郷土誌(地誌)で、元禄11年(1698)に出版。大友氏が豊後国を治めることになった建久年間(1190-1199)から明暦年間(1655-1658)まで約500年の歴史が綴られているそうです。
江戸の「神田明神」を引き合いに
豊府聞書は郷土史の基礎資料として扱われ、その後に出版された書物に引用されています。例えば、天保年間(1830-1844)半ばに書かれたという「雉城雑誌」(きじょうざっし)にも「聞書曰(いわく)」などの文言が頻繁に現れます。
雉城雑誌も郷土の歴史ガイドブックと言えるもので、この中で江戸の地誌「江戸砂子」の「神田明神」の項を引用して、「神田」を「志手」の地名の語源ではないか、と推測しているのです。
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