6/14/2025

ミカンとりんご➁ 志手ミカンの始まりは

官造さんと重平さん 

志手みかんの先駆者



 上の写真は志手のミカン畑※です。4年前に撮影した
この畑は今もありますが、周辺では宅地になったミカン畑もあります。

 ※正確に言えば温州ミカンではなく、志手ポンカンのようですが、ここでは「ミカン」と総称します。

 さて、前回のこのブログ「大分『志手』散歩」では、余話 ミカンとりんご 日本農業新聞より」(2025年6月9日公開)と題して同紙に掲載された2本の記事を紹介しました

 1本はミカン、もう1本はリンゴの記事です。いずれも2024(令和6)年の生産量について報じた記事です。

 農水省の統計を基にした記事で、データがある1973(昭和48)年以降でミカンは過去最低、リンゴは過去2番目の低水準だったとありました。

 そのデータを紹介するとともに、「志手とミカン」についてあらためて次回書いてみたいと前回予告しました。

 その予告に沿って志手のミカンの歴史について少し書こうと思います。

 「余話 ミカンとりんご 日本農業新聞より」でも触れましたが、このブログ「大分『志手』散歩」では以前に志手でのミカン栽培の始まりなどについて少し紹介しています。

 例えば志手に残る農村風景 ミカン盛衰記➁栽植記念の石碑残る」(2022年9月30日公開)などです。

 その時に紹介した園田官造さんは志手でミカン栽培を始めた先駆者といっていいでしょう。

 明治44(1911)年の栽植記念碑を官造さんの子孫の方が持っていることを「志手に残る農村風景 ミカン盛衰記➁栽植記念の石碑残る」(2022年9月30日公開)で紹介しました。

 志手でミカン栽培が始まるにあたって官造さんが大きな役割を果たしただろうことは想像ができます。

 ただ、官造さんがどこからどのようなミカンを入れて、どのくらい作っていたかなど、具体的なことになるとよく分かりません。

 一方、ミカン栽培に関してその功績がある程度分かる人物がいます。


 園田重平さんです。重平さんは1924(大正13)年に「篤農家精農家」の1人として大分県農会から表彰されています(上の資料)。

 表彰理由の一つがミカン栽培の普及に尽力したことです。

 官造さん、重平さんのほかにも志手のミカン栽培の先駆者といえる人がいたかもしれません。ただ、資料なども残っていないようです。

 ここではいまも残る資料を基に明治、大正、昭和初期の「志手みかん」について少し紹介しようと思います。

 ミカン栽培を思い立った官造さんは予想もしない大発見をすることになるのですが、これも最後の方で紹介しようと思います。 

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6/09/2025

余話 ミカンとりんご 日本農業新聞より

ミカンとリンゴはどうなる?

記事と統計が示す危機的状況


 上の見出しは少し大げさかもしれません。日本農業新聞で気になる記事を2本見つけました。いずれも2025(令和7)年6月3日付です。

 一つはミカンの話。左の記事です。

 「ミカン初の60万トン割れ」という大きな見出しが出ています。

 記事は次のような書き出しで始まります。

 「2024年産のミカン生産量は前年比18%減の55万9600トンで、初めて60万トンを割ったことが農水省の作物統計で分かった」

 記事を読み進めるとまた数字があります。

 結果樹面積は前年比3%減の3万4500ヘクタール、出荷量は前年比17%減の51万900トンだった。

 結果樹面積、生産量、出荷量はいずれも、データのある1973(昭和48)年以降で過去最低となった。

 
 一方、リンゴの記事は右にあります。見出しは「リンゴ生産回復わずか」「過去最低前年並み」です。

 こちらも農水省の作物統計を基に書かれた記事です。

 記事の最初に、2024年産リンゴの生産量、出荷量はともに過去最低だった前年からの回復がわずかだったことが農水省の作物統計で分かった、と書いてあります。

 もう少し具体的に言うと、24年産リンゴの生産量は60万9200トン、出荷量は55万4900トンでいずれも前年比1%増だったそうです。

 前年の23年産はデータがある1973(昭和48)年以降では過去最低で、24年産は23年産に次ぐ過去2番目の低水準だった、と記事は書いています。

 「志手とミカン」については、このブログ「大分『志手』散歩」で何回か取り上げています。

 志手はかつては「ミカンの銘産地」として知られていました。そうしたことを2022(令和4)年9月から10月に「志手に残る農村風景 ミカン盛衰記」とのタイトルで6回に分けて書きました。

 例えば次のようなものです。「志手の残る農村風景 ミカン盛衰記①ミカンの銘産地・志手」(2022年9月29日公開)、「志手に残る農村風景 ミカン盛衰記➁栽植記念の石碑残る」(2022年9月30日公開)。

 そんなわけでミカンと聞くと他人事とは思えません。

 リンゴもこのブログ「大分『志手』散歩」の筆者にとってはなじみ深いものです。リンゴもミカンも昔は今のようには美味しくありませんでしたが、そんなリンゴやミカンを子どもの頃から食べてきました。

 馴染みのミカンやリンゴの生産が先細りになっていると聞くと心配になります。ミカンとリンゴの先行きは大丈夫でしょうか?

 ミカンの未来を案じつつ、次回のブログであらためて「志手とミカン」について少し書いてみたいと思います。

 その前に日本農業新聞の記事の基になった統計も紹介して、とりあえずこの回を終えようと思います。

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