4/12/2023

大分まち歩き⑤住居表示番外編⑤府内町

新町名誕生60年⑤府内の賑わい

 目立つ空き店舗の貼り紙

 

 大分市中心部で新たな住居表示が実施され、新たな町名として中央町、都町、府内町が生まれて60年になります。
 筆者が住む「志手」のことを調べているうちにそんなことを知りました。それがちょっとした発見に思えて、町名の由来などを調べる気になりました。
 そして書いたのが「新町名誕生60年」シリーズです。1回目で「中央町」を取り上げ、2~4回は都町をテーマにしました。今回は「府内町」です。

 
 府内町には「ふるさと大分の百貨店トキハ」の本店があります(上の写真の左側の建物)。大分銀行本店もあります。地元紙の大分合同新聞社本社もあります。大分県庁舎の別館もあります。大分の「都心」と言える地域なのですが、ぶらぶら歩いてちょっと意外な発見がありました。

(興味のある方は「続きを読む」をクリックして下さい)

 それが一番上の写真です。「貸店舗」「テナント募集」の貼り紙が結構多いのです。府内町も、大通りに面したところには大きな建物が並んでいますが、一歩入ると、ほとんどが小規模な建物になります。そうした小さな建物に飲食店やブティック、美容室などさまざまな店が入り、軒を並べ、それぞれが人を呼び込んで賑わいを作っているわけです。


 小さな店が一つ、二つと消えて行っても、すぐに街の賑わいが消えてしまうわけではありませんが、それが続くと街全体の衰退につながります。

 中心市街地の空洞化。商店街の衰退。「新町名誕生60年」1回目の中央町(写真下)でも感じたことです。


 しかし、市民も行政も「府内」を冠した町が寂れていくのを黙って見ているようなことはないでしょう
。「府内」と言えば「大友宗麟」。大友宗麟と言えば大分市民にとって郷土の偉人であり、豊後・大分に賑わいと繁栄をもたらした人物なのですから。地元の沽券にかかわります。

 大分に長く住む人にとっては常識でも、新参者には知って驚きの事実があります。「新町名誕生60年」も新参者による「大分」発見の物語とも言えなくはありません。

 大友宗麟についても小さな発見がありました。右の写真は大分市教育委員会が作った小学6年生向けの郷土学習資料、社会科の副読本です。
 「府内から世界へ 大友宗麟」が最初に出され、「大友宗麟と府内のまち」はその後継本だそうです。
 漫画や写真を豊富に使い、読みやすい「府内から世界へ」に対し、「大友宗麟と府内のまち」の中身は白黒写真です。これは一般向けの資料のようです。「大人も宗麟を勉強してね」ということなのでしょう。 
 こんな資料があることは最近まで知りませんでした。

 大分市の「市報おおいた」にも大友宗麟がしばしば登場します。調べてみると、2012(平成24)4月から翌13(同25)年3月まで毎月の「市報おおいた」に掲載された「大友宗麟の実像」(全12回)がありました。
 左の写真は連載第8回です。タイトルは「宗麟の築いたまち『府内』」。当時の豊後府内の様子を描いています。

 「まちにはヨーロッパ、東南アジア、中国などの品々があふれ、往来にはさまざまな国の人が行き交って」大いに繁栄していたと言います。

 府内は「戦国大名大内氏の支配した 『山口』や国際貿易都市として繁栄した『堺』、『博多』と肩を並べるまちだった」と述べています。

  さらに「府内は、キリスト教宣教師の記録の中でも、織田信長の『安土』や豊臣秀吉の『大坂』などと同等に扱われ、日本を代表する大都市であった」と書いてあります。 


 府内は宗麟の時代に国際都市として黄金期を迎えたわけですね。

 ※上の写真は2016(平成28)年10月の「宗麟公まつり」の一コマです。JR大分駅前の武者行列の様子を撮影していました。保存していた写真データの中にありました。宗麟公まつりの写真を撮っていたことを完全に忘れていました。

 大友氏が大分を去った後も「府内」の名称は引き継がれました。新たな領主によって新たな場所に築かれた城を中心とした地域は「府内藩」として江戸時代に続いていきます。

 「府内」は歴史ある地名で、それを町名とした「府内町」は、そこが現在の大分の政治・経済・文化の中心地であることを示すために命名されたということでしょうか。

 では「府内町」となる前の旧町名はどんなものだったか。それについては次回少し書いてみたいと思います。

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