色づくポンカン 志手の冬
そんなわけで志手でも季節が巡ってまた冬が来て志手ポンカンが色づく時期がやってきました。
上の写真は12月19日に撮影したものです。写真の右側にあるのは狭い道路で、その横は墓地になっています。
同じような場所から3カ月前の9月19日に撮った写真があります。
「塔平」という字(あざ)の「塔」にはどんな由来があるのでしょう。
手元にあった漢和辞典の「新漢語林」(鎌田正、米山寅太郎著 大修館書店)で「塔」を引いてみました。
それによると、塔は梵語でストゥーバの音訳、卒塔婆の略とあります。
辞書の続きを読むと、墳墓のことで、遺体や舎利を埋蔵し、その上に土や石を積み上げて高くしたもの、と解説があります。
グーグル検索してみると、梵語とは古代のインドの言語で、舎利とはお釈迦さまの遺骨(仏舎利)とありました。
どちらの古墳についても、このブログ「大分『志手』散歩」で何度か紹介しています。
例えば2021年7月21日公開の「志手界隈案内①志手の名所旧跡」(左の写真)です。
亀甲山古墳については2025年9月29日公開の「小字あれこれ その③ もう一つの目印」でも書いています。
志手には弥生時代の遺跡があったという話もありました。
このブログでは「あったはずが消えた 志手遺跡」(2023年10月21日公開)と題して書いています。
古くから人が住みついていた志手とその周辺では、古墳時代以降も地域の有力者が拠点を置いていた。そんな想像もまったくの的外れとはいえないような気がします。
字(あざ)図にある「塔平」の横の「クス神」の由来は?クスノキの御神木があった場所ということでしょうか。これも気になる呼び名です。
地名の由来は謎だらけです。時間を見つけて少しずつ調べていきたいと思います。


