11/26/2025

二年越しの工事完了 天神社裏

2年越しの造成終わる

天神社裏のミカン畑跡



 このブログ「大分『志手』散歩」で志手天神社裏の宅地造成工事(上の写真)について書いたのは2年以上前になります。

 「志手ぶらぶら路上観察記➁天神社界隈」(2023年10月14日公開)で、造成工事が始まったことを書きました。

 その工事が完了したようです。隣接する桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)から見てみると、りっぱな宅地ができていました。

 工事の始まりを書き、途中経過も書きました。「志手ぶらぶら路上観察記③天神社界隈」(2024年6月9日公開)が、それです。だから工事が終わったら、それも報告しなければと思っていました。


 11月1日、久しぶりに桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)に行きました。桜ケ丘聖地から宅地造成地を見ると、もう重機の姿は見えません。その代わりに造成地の中にテントのようなものが見えました。

 上の写真でオレンジ色の楕円で囲ったものです。完工式というか竣工式というのか、工事の完了を祝う式の準備がされているようです。

 3週間後の11月22日に宅地造成地を見に行くと、テントが立てられ紅白の幕が張られていました。


 上の写真でオレンジの楕円で囲っています。よく見るとテントにはパイプ椅子が並べられ、神事を行うための供物台がありました。

 テントの手前には立て看板が見えます。「セキュレア大分西」と書いてあるようです。この分譲地の名前のようです。


 こうして出来上がってみると、以前の姿がどんなものだった思い出せなくなってきます。

 ちょっと前までミカン畑だったことが忘れ去られてしまうのも残念な感じがして、「志手ぶらぶら路上観察記➁志手天神社界隈」(2023年10月14日公開)などに使った❝昔❞の写真を再掲することにしました。

 写真をご覧いただく方は下の「続きを読む」をクリックして下さい 

11/20/2025

小字あれこれ 余話 団地建設その2

拡大と縮小の象徴に

転機を迎えた団地群



 前回の「大分『志手』散歩」の「小字あれこれ その⑤ 団地建設」(2025年11月2日公開)では、志手の後背地に広がる「にじが丘」や「青葉台」などの住宅団地(上の写真)の昔の地名を調べてみました。

 現在の地図と明治時代の字(あざ)図を比べ、今の地図に昔の小字を当てはめてみました。大ざっぱで正確とは言い難いですが、とりあえず作ってみたのが下の地図です。


 現代版の字図を作ってながめていると昔の地形が頭に浮かんできます。

 例えば「平原」「イドラ平」の「平」は平坦な土地を連想させ、「栗迫」「白迫」「市坊迫」の「迫」は山あいの小さな谷間を想像させます。

 ちなみにイドラとは野茨(のいばら)、野生のバラのことだそうです。すると「イドラ平」は野バラいっぱいの平地となりますか。

 こうした「小字」が物語る情景は、住宅団地建設のために大規模な造成が行われて一変してしまいました。

◇     ◇     ◇     ◇

 大規模な住宅団地造成は志手の周辺だけでなく大分市内の各地で行われました。今回は市内の団地建設の歩みと現状を少し見ようと思います。

 参考にしたのは大分市の「大分市住生活基本計画」のほか、大分大学教育福祉科学部研究紀要掲載の「大分市における住宅団地の開発と高齢化」(土居晴洋、久保加津代、板井美奈著)などです。

 大分市の住宅団地の現状について簡単に見ておきましょう。

 大分市住生活基本計画によると、市内には78の住宅団地があり、その半数以上が開発から40年以上経過しているそうです。

 そして、完成から30年以上経過した団地では顕著に人口減少が現れ、完成後40年以上経過した団地では空き家率が上昇しているといいます。


 
人口減少と高齢化で活力を低下させている住宅団地も少なくないようです。全体として見れば住宅団地の先行きは明るいとはいえないようです。

 悲観的な話から始まりましたが、市内の住宅団地が光り輝いていた時代もあったはずです。団地建設の歩みを少し見てみたいと思います。

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11/02/2025

小字あれこれ その⑤ 団地建設

団地造成 四つの村に跨る

志手・椎迫・駄原・金谷迫





 前回の「小字あれこれ その➃ ため池と錦鯉」(2025年10月15日公開」で、志手老人クラブ共和会が2005(平成17)年5月に発行した「ふるさとだより17号」にあった「ふるさと年表『戦後60年・志手とその周辺』」を紹介しました(左の資料)。

 前回の「小字あれこれ その➃」では、この年表の「昭和40年代後半 駄原堤で錦鯉の養殖を始める」(赤色の下線を引いた部分)に注目して、いろいろ書きました。

 今回の題材はその下の四角で囲った出来事について書こうと思います。

 何が書いてあるか見てみます。「昭和48(1973)年 住宅団地高崎、にじが丘などの買収始まる。この頃から地区内で貸家アパートの建設が続き、水田の宅地化が進む」。「志手とその周辺」が大きく変わる節目となった年です。

 変貌を遂げた「志手とその周辺」の「変身前」と「変身後」の姿が冒頭の写真です。

 2枚の写真の上が現在、下が60年以上前の姿です。

 下の昭和36(1961)年撮影の写真には、志手の集落の前面に水田が、後背地の丘陵地帯にミカン畑がそれぞれ広がっています。

 現在の写真は「グーグル マップ」を複写したものです。「志手とその周辺」はどこもが住宅地になっています。

 2枚の写真に白い丸で囲んだところがあります。ここが高崎、にじが丘などの住宅団地です。〇を描いたのはこのブログ「大分『志手』散歩」の筆者です。

 かつてミカンがあった丘陵地帯は順次造成されていき、「スカイタウン高崎」「サンシャインにじが丘」「パークシティ青葉台」などの名前で住宅地として売り出されていきました。

 ミカン畑が宅地になった話は、このブログ「大分『志手』散歩」の第1話「志手はどこにある?」(2021年7月17日公開)などで書いています。

 今回は志手集落の背後の丘陵地帯がミカン畑になる前の地図(明治21年刊行)と現在を比べようとする試みです。

 明治21(1888)年刊行の「村図大分郡三芳村」を基に志手の字図(あざず)を試作したことは「小字あれこれ その➁ 字図を作る」(2025年9月22日公開)で報告しました。

 明治時代の字図と現在の街並みを照らし合わせてみると、


 住宅団地が四つの村にまたがって造られたことが分かります。

 字図を基に昔これらの地域が何と呼ばれていたのか、もう少し詳しく見て行こうと思います。

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二年越しの工事完了 天神社裏

2年越しの造成終わる 天神社裏のミカン畑跡  このブログ「大分『志手』散歩」で志手天神社裏の宅地造成工事(上の写真)について書いたのは2年以上前になります。  「 志手ぶらぶら路上観察記➁天神社界隈 」(2023年10月14日公開)で、造成工事が始まったことを書きました。  その...