1/27/2025

お大師さまとお接待 その1

 毘沙門堂とお大師さま

途絶えた行事・お接待

 
 前回のこのブログ「大分『志手』散歩」では毘沙門堂に賽銭泥棒が出たことをお知らせしました。

 志手の毘沙門堂については昨年2月から6月にかけてこのブログ「大分『志手」散歩」で取り上げています。
 
 「毘沙門堂今昔」」と題して7回書いています。左の写真はその1回目の「毘沙門堂今昔 予告編」(2024年2月13日公開)です。 

 話がもう一度毘沙門堂に戻ってきたところで、昨年の毘沙門堂今昔シリーズでは取り上げなかったことを一つ書いてみたいと思います。

 それが毘沙門堂で行われていた「お接待」。弘法大師(お大師さま)の命日に合わせて志手でも「お接待」が行われていたのだそうです。

 「お接待」とは何か。大分県立図書館のウェブサイトに簡潔にまとめられた資料(右)がありました。
  
 大分県内で見られる「お接待」は、いまや消えゆく伝統行事だそうです。

 その原点は四国で行われている「接待」にあるようです。

 接待とは、弘法大師(空海)ゆかりの四国88カ所の霊場を巡る「遍路」を助ける行為です。

 霊場を巡る遍路に食べ物などを提供し、ねぎらう風習だそうです。遍路を積極的に助けること、遍路への施しは弘法大師への供養・報謝でもあるとの考え方があって、四国で接待が定着していったとのことです。

 四国での接待の風習が大分に伝わって、大分でも「お接待」が行われるようになったということでしょうか。

 大分では弘法大師を信仰する人たちが、旧暦の3月21日と7月21日に「お接待」を行い、寺社を参拝する人々に菓子やモチ、握り飯などをふるまったそうです。


 志手でも
、毘沙門堂で「お接待」が行われてきて、その後、お接待の場所は志手集会所に移ったそうです。

 そのあたりの話が1999(平成11)年4月発行の志手老人クラブ共和会の会誌「ふるさとだより」第5号にありました。

 今は途絶えてしまった志手のお接待についてもう少し詳しく見ていきたいと思います。

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1/13/2025

志手ぶらぶら路上観察記⑤さい銭泥棒

 毘沙門堂に賽銭泥棒とは‼



 1月12日に毘沙門堂に行くと、扉に貼り紙があるのに気づきました。


 毘沙門堂は元日にお参りしたのですが、その時こんな貼り紙があったろうか、そんなことを考えながら近づいてみました。

 近くに行って貼り紙を見ると「お賽銭盗難のため防犯カメラ作動中」「毘沙門堂管理者」とありました。

 毘沙門堂に賽銭泥棒が入ったので監視カメラを付けたとのことです。

 毘沙門堂周辺の人通りは多いとはいえないし、御堂にいつも人がいるわけでもない。盗みに入りやすい御堂かもしれませんが、「毘沙門堂を狙った泥棒が実際にいたとは」。このブログ「大分『志手』散歩」の筆者にはちょっとした驚きでした。

 毘沙門堂は以前から賽銭泥棒の被害に遭っていたのでしょうか。それともこの正月の参拝者の賽銭が狙われたのでしょうか。


 今月1日に初詣に来た時に撮影した写真を見てみました。それが上の写真ですが、「お賽銭盗難のため防犯カメラ作動中」の貼り紙は既にあったことが分かります。

 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者はしばらく毘沙門堂に足を運んでいませんでした。

 恐らく昨年のうちに賽銭盗難があったのでしょう。

 毘沙門堂内に防犯カメラが取り付けられるような事態になっているとはちっとも知りませんでした。

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ミカンとりんご➁ 志手ミカンの始まりは

官造さんと重平さん   志手みかんの先駆者  上の写真は志手のミカン畑※です。4年前に撮影した この畑は今もありますが、周辺では宅地になったミカン畑もあります。  ※正確に言えば温州ミカンではなく、志手ポンカンのようですが、ここでは「ミカン」と総称します。  さて、前回のこのブロ...