8/18/2023

志手の盆火 ガータリ

火の玉が宙を舞う 志手の盆火 ガータリ

  言葉で説明するより実物を見てもらった方が早いだろうと思って、数年前の写真などを使って短い紹介動画を作ってみました。8月13日の志手の夜の恒例行事が「ガータリ」です。今年も火の玉が宙を舞いました。

 
 火の玉の正体は麦わらです。右の写真は麦わらの球にフジカズラ(藤のつる)を結び付けているところ。カズラを持って火のついた麦わらを回します。

 ガータリは13日に行われるので「盆の迎え火」と言われます。ただ、昔は13、14、15と3日間続けてやっていたと言う人もいます。

 ガータリが行われる場所は、志手の住宅街の背後にある小高い丘の中腹です。志手に昔から住む「園田」※さんたちの墓があるところです。


 
 墓所の手前に少し広い「踊り場」のような空間があります。
 13日夜にあらかじめ作っておいた麦わらの球などがここに運び込まれます。「チキリン」と呼ぶ鉦もガータリのお囃子として欠かせません。 

 ここで麦わらの球の作り方を簡単に紹介しておきます。

 

 最初の写真は麦わらを縦横に交互に重ね合わせ、ワイヤーでしっかりと固定しているところです。わらは縦、横、縦、横と2回重ねます。

 



 ばらけないようにしっかり縛ったら、わらの先を内側に折り込んでいきます。少しずつ丁寧に折り込んでいくと、きれいな球ができます。

 見ていると、単純な作業のようですが、やってみると、きれいな球形にするのはなかなか難しいことです。

 (この先は「続きを読む」をクリックしてご覧ください)

8/08/2023

米人教授が聞き取ったヒデオさんの戦争体験⓷

 園田英雄さん 消えない戦争の記憶⓷

狙われた大分 空襲 九州最多の20回



 前回の「園田英雄さん 消えない戦争の記憶②」では、
エドガー・A・ポーター、ランイン・ポーター著、菅田絢子訳の「戦時下、占領下の日常 大分オーラルヒストリー」(みすず書房刊)にある園田英雄さん(故人)の証言を見ました。

 今回もこの本を下敷きにしながら、他の資料も参照して昭和20(1945)年の大分市の空襲被害について見ていきたいと思います。

 都市別の空襲回数は大分県立図書館にあった「建設省編 戦災復興誌第1巻」(計画事業編)から引用しました。この本は1959(昭和34)年3月に財団法人都市計画協会から発行されています。

 この本は簡単に言えば、空襲で焦土と化した国土の復興の記録です。空襲による被害は全国で120余の都市に及び、罹災面積は1億9千万坪(約62,700ha)、罹災戸数約230万戸、罹災人口970万人に上った、と戦災復興誌は書いています。

 都市という都市は軒並み米軍の標的となり、空襲に遭わなかった都市が例外的と言えるほど、米軍の攻撃は徹底したものでした。

 大分市も米軍の空襲を逃れられるはずはありませんが、筆者にとって意外だったのは大分市が受けた空襲の回数でした。20回は地方都市としては際立つ多さです。

 なぜ、大分市は他都市以上に米軍の空爆の標的となったのでしょうか。

 ※総務省のホームページにある「大分市における戦災の状況」には、大分市は初空襲から終戦までに22回の空襲を受けたと書かれています。実は「建設省編 戦災復興誌第6巻」(都市編Ⅲ)にも空襲回数22回と書いてあります。

 とりあえず他都市との比較をするために「戦災復興誌第1巻」に記載された数字を使うことにします。

(興味のある方は「続きを読む」をクリックして下さい)

メタセコイアとラクウショウ③天神島児童公園

 カギは全国公園緑地会議? 駄原総合運動公園の落羽松   「駄原総合運動公園以外にもラクウショウ(落羽松)が植えられている公園がありますか?」。思いついて大分市役所の公園緑地課に電話したのは9月24日午後5時過ぎでした。  翌日の午前中に公園緑地課から電話をもらいました。「松原緑...