お接待 始まりは江戸後期
毘沙門堂に残る手掛かりは
志手の毘沙門堂で弘法大師の命日にちなんだ「お接待」という行事が行われていた。このブログ「大分『志手』散歩」の「お大師さまとお接待 その1」(2025年1月27日公開)で紹介しました。
上の写真は志手の毘沙門堂です。弘法大師の命日にあたる旧暦の3月21日などに弘法大師像をまつり、お参りしてくれた人々に食べ物をふるまう。志手では長く毘沙門堂で「お接待」が行われていたそうです。
「お接待」に限らず、今はなくなったこと、昔の話が地域には数多くあります。
このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が実際に見たことも経験したこともないことが多くて、話はどうしても伝聞調になってしまいます。
「お接待」の風習は志手だけでなく、大分県内各地にみられ、今も続いている地域も少なくないようです。
大分県内の「お接待」について広く調べてまとめた資料を大分県立図書館で資料を見つけました。タイトルは「大分県における『お接待』」。10年ほど前の大学生の卒業論文でした。
表紙には「平成26年度卒業研究」「情報社会文化課程 社会文化コース」「岩尾成美」「指導教員 鳥井裕美子」と書いてあります。
「情報社会文化課程 社会文化コース」というのは大分大学のウェブサイトにありました。
この卒業研究の筆者は大分大学の学生だったようです。
この論文の中に大分での「お接待」の始まり、源流について書いた部分があります。
結論から言うと、筆者の岩尾さんは「江戸時代後期には(お接待は)成立していたと推測できる」と書いています。
岩尾さんによると、大分県内でのお接待の最も古い記録は、国東市の国見町大熊毛区本谷地区の記録帳にあった天保6年(1835年)3月で、1588人の参詣者があったと記されているそうです。
では志手の毘沙門堂でも江戸時代の末頃には「お接待」がおこなわれていたのでしょうか。
直接の証拠となるものは見つけられませんでしたが、江戸時代に造られたと思われる石碑が毘沙門堂の境内にあります。これが手掛かりを与えてくれるかもしれません。
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