10/29/2024

メタセコイア番外編~大分駅南口

かつての町のシンボル残す

大分駅南口のメタセコイア

 

 「メタセコイアとラクウショウ」について書くのはこれで5回目になります。
 
 1回目は「駄原総合運動公園のラクショウ」(2024年7月4日公開)を素材に、2回目は「志手のメタセコイア」(2024年8月30日公開)を題材にしました。

 3回目は駄原総合運動公園以外の大分市内の公園にラクウショウを見に行きました「天神島児童公園」(2024年9月30日公開)。4回目は「番外編」として「徳島県のラクウショウ」(2024年10月10日公開)を取り上げました。

 「メタセコイアとラクウショウ」シリーズの5回目は「大分駅南口のメタセコイア」にスポットライトを当てました(上の写真)。とりあえずこれで最終回にしようと思います。

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10/10/2024

ラクウショウ番外編~徳島県の農業学校

❝百歳❞迎える落羽松 徳島県


 自分が調べていることで新たな手掛かりがほしい。そんな時このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は「国立国会図書館(NDL)サーチ」を使います。

 ラクウショウ(落羽松)について目ぼしい資料が見つからなかった時もそうです。

 国立国会図書館(NDL)サーチのキーワード検索で「ラクウショウ」と入れてみました。

 すると「ラクウショウ(落羽松)物語ー薮内當一先生の功績」(安田博武編)という本がありました(上の写真)。

 2013(平成25)年12月の出版です。徳島県立図書館と香川大学図書館農学部分館に、この本があるようです。

 本の内容はまったく分かりません。しかし、筆者の手元にはほかにこれといった資料もないし、何もないよりはましかと思って、この本を借りてみることにしました。

 大分県立図書館を通じて徳島県立図書館から借りることができました。

 この本は
薮内當一氏が過去に書いたものなどをまとめたものです

 薮内氏とは何者なのか。右の資料にあるように徳島県立農業学校(現徳島県立城西高校)にラクウショウ(落羽松)を植えた人物です。2000(平成12)年に95歳で亡くなったそうです。

 右の資料によると、薮内氏は1926(大正15・昭和元)年4月に徳島農業学校に教諭として赴任し、翌1927(昭和2)年に2本のラクウショウを植えたそうです。

 薮内氏が駄原総合運動公園のラクウショウ(左の写真)と関係あるのかというと、まったく関係はありません。

 ただ「誰が」「いつ」ということがはっきりしたラクウショウがあることに、このブログ「大分『志手』散歩」の筆者が感心しただけです。 

 それで少し「ラクウショウ(落羽松)物語ー薮内當一先生の功績」(安田博武編)の中身を紹介してみようと思ったわけです。

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「長水」余話 現在の「町名」は?

  「長水」から「王子山の手」に オシャレな名前はいつから?  志手天神社は昔の志手村内ではなく、隣りの旧長水村の中にある。  そんな話を、このブログ「大分『志手』散歩」の「 天神社 志手村と長水村の関係は? 」(2025年7月11日公開)で書いています。  志手天神社の境内に石...