独大佐の献花と「国民哀悼の日」
11月24日午前。桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)の前を通りかかると、日本とドイツの国旗が掲げられていました。
桜ケ丘聖地に2人のドイツ人の墓があることは、このブログで何回か紹介しています※。2人は第一次世界大戦で日本の捕虜となり、大分の捕虜収容所で病死しました。
※新しいものでは「ドイツ大佐 離日前の墓参り 桜ケ丘聖地」(6月27日公開)、古いものでは2021(令和3)年9月16日公開の「志手界隈案内③桜ケ丘聖地1」があります。
第一次大戦から100年以上の時を経て、忘れ去られようとしていた2人の墓を再発見したのは、駐日ドイツ大使館付武官のカーステン・キーゼヴェッタ―氏でした。キーゼヴェッタ―氏は既に日本を離れ、その後任者がこの11月24日、桜ケ丘聖地の2人の墓に献花に訪れたのでした。
キーゼヴェッタ―大佐が最初にその墓を訪れ、献花したのは2019(令和元)年暮れのことだったそうです。上の写真は2020(令和2)年2月に撮影したものです。曽祖父の弟のユリウス・パウル・キーゼヴェッターの墓に供えたと思われるものがまだ残っていました。
公式行事としてなぜ11月に行ったのか。当時、ちょっと疑問に思ってドイツ大使館に問い合わせてみました。
すると「大使館武官室では日本各地のドイツ兵の慰霊祭を『国民哀悼の日』にちなんでおこなっており、大分に伺いましたのもそのために11月でした」との回答を得ました。
フリー百科事典「ウィキペディア」には、「国民哀悼の日」はドイツにおいて、戦没者ならびにナチ党の暴力支配の犠牲者を追悼する記念日である、とあります。1993年以来毎年11月の第3日曜日に大統領、政府閣僚、ベルリン駐在の各国外交団の臨席を得て式典が執り行われるそうです。
ドイツ本国での慰霊行事に合わせて日本でも戦没者を追悼するということで、桜ケ丘聖地でも11月に献花式が行われたということになります。
ベルジケ大佐がキーゼヴェッタ―大佐の後任のようです。ベルジケ大佐は前日の23日に徳島県鳴門市の捕虜収容所跡を訪れています。
NHK徳島放送局のニュースによると、鳴門市にあった「板東俘虜収容所」跡には、四国各地で亡くなったドイツ兵の慰霊碑があり、23日は慰霊碑前で献花式があったそうです。
ベルジケ大佐は23日の徳島県鳴門市での献花式に出席後、大分市に足を延ばし、桜ケ丘聖地を訪れたということのようです。
ちなみに第一次大戦の時に捕虜となったドイツなどの将兵の収容所は各地にありました。「ドイツ大佐 離日前の墓参り 桜ケ丘聖地」でも掲載した地図を再掲します。
駐日ドイツ大使館関係者は「国民哀悼の日」に合わせて徳島県鳴門市や大分市のほかに何カ所くらい慰霊に訪れているのでしょうか。機会があれば聞いてみたいところです。