「長水」から「王子山の手」に
オシャレな名前はいつから?
そんな話を、このブログ「大分『志手』散歩」の「天神社 志手村と長水村の関係は?」(2025年7月11日公開)で書いています。
志手天神社の境内に石灯籠があり、その寄進者が隣村の長水村の人間だった。江戸時代のことです。それを不思議に思ったこのブログ「大分『志手』散歩」の筆者が、志手村と長水村のことをちょっと調べてみました。
筆者は、志手天神社の所在地が旧長水村内であることに気が付き、そこからああだ、こうだと考えてみました。でも昔のことで史料も見つからず、筆者は袋小路に突き当たってばかりでした。
いまは「長水」の呼び名もバス停の「長水入口」に残っているぐらいで、現在の町名は「長水」ではありません。今の町名は何でしょう。
「王子山の手町」。それが昔の「長水」とその周辺の今の名前です。「山の手」と聞くと何となくおしゃれな感じがします。
東京の「山の手」を連想するからでしょうか。「下町」に対して「山の手」。庶民の街よりちょっと高級な感じがします。
実際は背後の丘陵につながる傾斜地だから「山の手」という意味だと思います。「王子山の手」。誰がいつ頃付けたのでしょう。折角ですからそんなことも少し調べてみたいと思います。
このあとは下の「続きを読む」をクリックして下さい