2/28/2023

2月26日 桜ケ丘聖地にて

2月26日 桜ケ丘聖地にて

 

 
 志手に「志豊会」という住民グループがあります。昔から志手に住む「園田」(※)さんたちが中心になって活動し、志手天神社の夏祭りや年越しの行事などには欠かせない存在です。
 
 ※このブログ「大分『志手』散歩」の「ふるさとだよりで知る志手のトリビア➁志手と言えば園田さん その祖先を辿れば」もご参照ください(2023年1月公開)
 
 新型コロナウイルスの大流行で、地域の行事は軒並み中止となり、志豊会も活動の縮小を余儀なくされましたが、コロナ禍でも続けてきたことがあります。それが桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)の清掃です。基本的には2月、5月、8月頃に草刈りや樹木の剪定、排水路の掃除などをします。

 かつては遺族会など関係者による清掃活動も行われていたようですが、遺族の高齢化などもあり、地元志手の住民が草刈りなどの作業の中心を担うようになりました。

 左の写真は志豊会による桜ケ丘聖地の清掃作業の記録の一部です。

 2月の清掃が26日に行われました。手元の記録を見ると、去年も26日でした。以前は必ずしも26日だったわけではありません。昨年は土曜日、今年は日曜日と休日で集まりやすかったこともありますが、もう一つ大きな理由があります。

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2/13/2023

ふるさとだよりで知る志手のトリビア⑤「三芳」と「志手」 二つの住所

 ふるさとだよりで知る志手のトリビア⑤

二つの住所「志手」と「三芳」 その由来は?



 左の写真は2018(平成30)年12月に撮影したものです。まだ新型コロナウイルスの大流行が起きる前です。
 志手天神社では、大晦日の深夜の参拝者に年越しのそばやお神酒、甘酒をふるまい、新年を祝う催しが恒例となっていました。
 年の瀬となると、写真の「初詣は志手天神社へ」と大きく書かれた案内板が町内のあちこちに掲げられたものでした。新型コロナの影響でここ数年、この新年行事が取りやめになっているのは少し残念なことです。

 さて、今回取り上げるのは天神社の初詣ではありません。写真で注目いただきたいのは「ここは大分市志手5組」と書かれた住所の表示板です。

 Googleマップでこの場所を探すと「大分市三芳」と出てきました。

 「志手」と「三芳」。どちらも住所として使えます。私に届く郵便物の中には「三芳志手」の表記もあります。

 「志手」と「三芳」。二つの住所表記がなぜあるのでしょうか。細かく言えば、志手も三芳も「住居表示に関する法律」に基づく住所ではありません。三芳は「地番」であり、「志手」は通称ということになります。
 
 「志手」は昔から「志手」の地名でした。江戸時代の資料(豊後国郷帳=写真右)にも「志手村」が出ています。石高78石余りの小さな村だったようです
。その歴史を踏まえれば「志手」という住所が正当な名称に見えますが、土地登記簿にある地番は「三芳」です。

 なぜ「三芳」と表記するようになったのでしょう。その由来は明治時代初期の町村合併にありました。

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メタセコイアとラクウショウ③天神島児童公園

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